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遺跡

{田舎館村・垂柳遺跡。弥生時代水田跡}
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青森県内には実に数多くの遺跡が存在し、今なお、我々に太古の文明の豊かさを示してくれる。
三内丸山(青森市)、亀ヶ岡(つがる市)、砂沢(弘前市)、風張(八戸市)、十三湊(五所川原)などなど縄文~中世時代にかけての生活や風習、環境を目にする事が出来る。
おそらく全国各地にまだまだ発見されていない、もしくは発見されたが開発のため封印された遺跡が数多く存在する事でしょう。
その中でも青森県程変化に富んだ土地はきわめて珍しく、表舞台に現れない重要な地域だと思われます。
学校において学ぶ歴史社会は実に狭く、制約があり、正史か偽りかなどはあいまいなものである。現在も数多くの歴史研究・発掘調査などで多くの歴史が覆され、教科書で学んだ事は役に立たなくなってしまっている事もしばしば。一般的に学ばされる古代日本史といえば、邪馬台国・卑弥呼に始まり、飛鳥時代・聖徳太子とつながる。
我々は2000年以前のことは学ぶ事が出来ない。そして、学ぶとすれば西日本に限定される。
青森市から車で30分ほどの所に田舎館村という地域がある。そこには垂柳遺跡が存在し、弥生時代、北国でも稲作が行われていた事を示す重要な遺跡である。
それまでの歴史学者の認識は青森のような寒冷地では稲作は行われず、西日本より一歩遅れた生活・文明がなされていたという説であった様である。
{旧木造町(きづくり)。現つがる市。亀ヶ岡遺跡・遮光器土偶をかたどった木造駅}
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しかしながら、三内丸山、垂柳、亀ヶ岡遺跡をはじめ、青森県内に数多く存在する遺跡が数々の歴史を覆してきた事は紛れもない正史である。
三内丸山遺跡は推定5500~4000年前の縄文遺跡として、国の特別史跡にもなり世界史に名を刻んだ日本有数の遺跡である。
今現在、550以上の住居跡が確認されており、青森の大地にこれ程までに大きな国家が形成されていたという事は歴史そのものを覆す大発見である。
西日本で発見されている遺跡の墓から出土する人骨には多くの矢のあとや刀傷など戦が多く行われていた事を物語っている。写真で拝見させていただいても「こんな時代から人々は争いをしていたのか」と心を痛める。しかし、青森の遺跡からは実に多くの出土品があるというのに戦の形跡は今のところ、自分は目にした事がない。
歴史書が正史か偽書かは誰にも分からない。書物はいくらでもコントロールする事が出来る。
歴史書というものは何の為にかかれたものであろうか?
政治・宗教を論じるつもりは無い。が、多くの歴史書は戦争の勝者が自分たちの行いを正当化させる為に書かれたといっても間違いではないであろう。もしくは支配階級が民衆を抑制する手段、自分たちの生活をより贅沢にする為、地域を牛耳る術として活用したものであろう。現在も同じ事が行われている。そして、青森には敗者である落ち武者の伝説も多く語り継がれている。(義経伝説などなど)
ではなぜ、西日本には多くの歴史書が存在するのに北には無いのか?
戦争をする意味は今も昔も変わらず、資源確保に他ならない。少ない資源を多数で分け合えば、優越感を味わいたい欲張りがいれば、争いは免れない。それでは皆が豊かで食べる事に事欠かなければどうであろう。戦争も歴史書も必要ない。
青森は今も昔も変わらず、開発も大々的に行われず災害も少ない。多種多様の自然と食料がいまだに残っている。
{紅葉が下る八甲田山}
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現代、金銭や人工的のものでは日本を代表する低レベルな貧乏県である。所得も下から2番目。失業率は最下位。ボーナスも最下位。経済的には何の魅力もない土地である。
青森が世界に誇れるものは何か?豊な自然と豊な食文化。そして争いを好まない、生まれながらにして非戦の論理を身に付けた青森県人である。
これしかないが、これ程すばらしいものは無い。
現代の様に全ての価値観、ものさしが’金’となるまでは青森は実に豊で争いのない生活を送っていたものと推測できる。
横浜からお越しいただいた御客様を三内丸山遺跡にご案内した事がある。その時「これ程の施設が無料で見れるなんて、なんて青森は太っ腹。」(今現在は三内丸山遺跡は無料開放中。見学はお早めに。)と言われたものです。
豊な環境を整えれば争いは激減する事でしょう。その様な意味で青森の遺跡は現代社会に示すお手本となる立派な歴史書でありましょう。
‘北のまほろば’と歌われ、今なお我々を魅了して止まない青森。”魏志倭人伝”にも示されたとおり、日本はワ。中国はナ。津軽弁で自分のことは‘わ’。相手のことは‘な’。「わどなどでママ食うべし。」(私とあなたとご飯を食べましょう。)日本語の‘遊ぶ’の語源になったと言われる、岩城山麓の‘アソベ族’。言葉や文字もさる事ながら、地名においても大釈迦(旧浪岡町大釈迦。梵珠山~釈迦が呪文を唱えて修行した山~)。戸来(へらい)村(現在新郷村。~竹内文書~キリストの墓があり、エジプトよりも古いといわれるピラミッドも有る。ヘブライ語から戸来村と命名された伝説の村)。
お釈迦様も、イエス様も訪れたロマン溢れる青森。面白すぎる我が青森。
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{岩城山に向かって驚くほどのヘボショット}
by tk-mirai | 2007-11-20 12:06 | Comments(0)

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