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一体化


{津軽の旧家に伝わる江戸時代のひな人形}
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昭和の頃に聞いた言葉になりますが’人生の三大娯楽。映画と音楽と読書‘。
現代は趣味趣向も多様化し、個人の興味はその頃より幅も広がっているので三大娯楽と謳うのも難しいものでしょうか?
その三つの中で音楽は今でも娯楽の人気上位には含まれるものでしょう。
中学の頃には多くの方々が音楽に興味持ち始め、音楽番組を見たり、レコードやCD、スマートフォンから好きな歌を買って聴いたりしているのではないでしょうか?
自分も同じように兄・姉がいた関係で、小学校から流行の歌は聴いていたものでした。
高校になると日本の流行の音楽には興味を無くし、別の音楽を聴くようになったものです。
特に洋楽が好きになり、洋楽好きの仲間が集まって色々情報交換や薦めあいをしたものでした。いい曲を見つけてくるのを競争してた感もありましたね。そのおかげで、バイト代はほとんどCDを買って無くなったものでした。
いろんな音楽を聴いていて飽きずに長く聴ける音楽に共通していることは、作詞・作曲・歌が同一人物と言うことになるようです。昔風で言うとシンガーソングライターというのでしょうか。
流行の音楽の多くは仕掛け人アイディアマンがいて、作詞・作曲・編曲はともに別々、歌い手も別で細分化されそれぞれが専門職のような感じになっているものでしょう。マーケティングされ利益優先の商売の歌になっているといってもいいでしょうか?
その様な歌はひと時は売れても長く聴き続けられることは無いようです。
もちろん、得て不得手があるもので、作詞をさせたら誰々が凄いとか、曲を作らせたらこの人がぴか一だとか、歌わせたらあの歌手に並ぶものはそうそういない。などはあるでしょう。
分業した方が専門性も高まりいい作品を作る確立も増えるかもしれません。
それに、曲を作らせたら上々だけど歌うのは「どうもなぁ~。」とか、歌は上手いけど作詞も作曲の能力も無い。など作詞も作曲も歌も出来る人という多才の方は限られたものでしょう。
{津軽海峡産天然活トラフグ}
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時代を越えて長く聴かれている歌は作詞も作曲も歌も同じ人が作っていることが多いようです。
その理由としては、作詞も作曲も手がけ、それを自分で歌うほうが詞にも曲にも作り上げた苦労や感情が移りだされ自分で作ったものを歌えば説得力が加味され、聴き手に伝わる要素が多いからではないでしょうか?
作詞も作曲も歌も同一人物だとすべてが一体化し相乗効果が高まり、完成度や満足度が高く、厚みも奥行きも増し聴き手に訴えかけるものが多いでしょう。
先日、たまたま20年ほど前に聴いたことがある歌を耳にし「自分も経験も年も重ねたけど、この歌手もいい経験をし年を重ねたな~。」と感じ、20年前の歌が今でも耳触りがよくいい歌で、その当時よりもより完成度が増していることに気づきました。
何度かその歌を繰り返し聴いてみると、その歌手が20年前に作詞作曲歌を自分で完成させたとき既に、詞も曲も歌もかなりの完成度に達していたけど、20年が経ち今のほうがさらに深さと厚みが増した歌になっていると感じました。
その歌い手さんが、20歳前後で完成度の高い作詞作曲をし歌も歌い世間に発表し、未だに色褪せずよりいい作品にしている事は凄みを感じるものです。20年ほど前にその歌を作曲し詞を書き歌い上げた時は、本人は迷いは無かったのか?周りの反応はどんな感じだったんだろうだろうか?その時はどのくらいの人が受け入れることが出来たのだろうか?
などと思いながら聞いていると歌・曲・詞の一体化が重要で人任せに出来ないものなんだと感じます。
10代20代前半は、歌・曲・詞のトータルバランスについてあまり考えもせず感じもせず、曲調に重点を置いて好みの歌を聴いていたような感じですが、数十年前の歌でも未だに新鮮味があり飽きずに聴けるのは、トータルバラスの優れた歌だという事が経験を積むほど感じるようになりました。
{陸奥湾産天然活アンコウ}
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料理についても、「昔食べたときそんなでも無かったけど、今食べると驚くほど美味しい。」と感じることや、「若かれし頃食べた料理がその当時も美味しかったけど、今でも十分美味しくさらに美味しくなっている。」という経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?
料理人の感覚から見るとそのような料理は古典的な料理がほとんどで、流行の見た目重視の前衛的な料理にはそんな要素は無いようです。
自分の個人的な経験ではありますが、20代前半の頃は作っている料理が古典か最新かなども分からず、旨いか不味いか?手が掛かっているか掛かってないか?食材の質や鮮度はどうなのか?原価率が高いか低いか?くらいしか考えないで料理をしていたものです。
さらに、その個々の料理のレベルがどれほどのものなのか?これが正しい調理なのかどうか?お客さんの満足度はいかほどのものなのか?などの認識も甘かったように感じます。
料理経験を重ねるうちに、自分の作る料理がどれほどのものなのか?味は?レベルは?食材の質は?食材の組み合わせは?深みや奥行きや厚みは?お客様の満足度は?作っている自分の満足度は?トータルバランスは?などなど、いくつもの要素に何年も掛けて答えを繰り返し出すうちに料理の完成度は向上し料理の表現力や味わいを増すことが出来るようになっていると感じるものです。
その為の条件とすれば、毎日自分で市場に足を運び食材を手に取り品定めをし買い付け、下処理仕込みをし料理を作り、自らお客様に接し料理を提供し説明をし、その料理に合う日本酒やワインなど飲み物も酒屋などに任せず自分で味を確認し選抜し自分の料理に合ったものをお客様にお勧めすることが大切だと思います。どの部分をとっても料理屋の運営や店作りなどを人任せにしないことが重要です。
料理の一体化のレベルを上げていくこと。料理の一体化の深みや厚みを向上させ続けること。料理の一体化に変化も加えていくこと。などなども必要です。それぞれを連結させ相乗効果に重厚感を加えていくことも欠かせません。
若かれし頃も作っている料理、同じ名前の見た目も同じような料理なのだけど、若かれし頃には出来なかった気付かなかった加えれなかった要素などを増していくことにより、自分の料理に一体化と深みと厚みと奥行き洗練さなどを加え料理の味は向上させていけるものです。
同じ料理でも作り続けていくことにより、その食材・組み合わせ・調理・理解度・歴史・自分の知識・技量などを積むうちに、認識・意識・経験がより深まり料理の美味しさを前進させることでしょう。
古典的な料理であっても完成やゴールはありません。
たとえば、卵焼きという料理は数百年前からあっても基本的な作り方・名前は変わらなくても中身は変わるものです。卵の質、調味料の質、調理道具の質、調理の質などなどが変わっていくものです。
それぞれのバランス・一体化が美味しさを向上させ、モデルチェンジしグレードアップしていくことが料理屋の仕事であります。
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{八戸市是川遺跡出土品。縄文時代の土偶はヨーロッパのオークションで億で落札されるほど世界的評価が高いものです。}

by tk-mirai | 2019-02-16 20:16 | Comments(0)

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