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未完成

{リュードヴァン。ドメイヌタケダ。城戸ワイナリー。ボーペイサージュノーネイム。レアな日本ワイン。}
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毎日のように、朝に市場に仕入れに足を運び、食材を手にし目利きをし、自分が納得する食材を買い求め「この食材はこう料理しよう。あの食材はこんな具合に整えよう。」などと考えながらお店に入り、献立を組み立てコースの流れを決めていき、何時間も要して調理に掛かり、一つ一つの食材を仕込んで営業に備えているものです。
三十を過ぎた頃から、年々一品一品の料理の完成度を高めようという気持ちが、益々高くなってきたものであります。
開店当初から質の高い食材を買い求め、原価率を高く設定し、クオリティーの高い料理を作る事を当たり前の様に念頭において営業してきたものですが、二十代の頃に比べ一品の料理の満足度を上げるという意識が高くなってきたと自分で感じるようになりました。
開店間もない頃は要領も悪く、日によっては一日二十品以上の料理を拵えることに時間に追われ、それ以外に掃除や伝票整理、スタッフ教育、業者さんとのやり取りや電話の対応、メニュー表作り、銀行回りや営業、サービスやプレゼンテーション向上、経営などなど様々なことに神経も時間も取られ、料理を作るときに一品一品の完成度を高めるという意識よりも、「コースとしての流れを完成させる事に集中していた。」という感じがありました。
勿論、コースの流れや塩梅というものは重要なものですが、その料理を更に深め高め満足度の高いコース料理を作るには、一皿一皿の完成度、皿の中の一つ一つの料理の個々の完成度、複数の料理が盛られた皿の中での相乗効果などなどを高める作業に着目するようになってきたものです。
「一つの皿の中の料理が美味しい。」ということは当たり前の様で、なかなかその様なお皿に出会うことは少ないものです。
「そこそこの料理が盛り合わせになっている。」「主役は美味しいけど付け合せはちょっと・・・。」「主役も美味しいし、付け合せも美味しいけどバランスがな~・・・。」「食材は良いのに味付けがどうもな~・・・。」「見た目は良いけど、食べてみれば。んん~・・・。」「食べて美味しいけど、見た目や盛り付けが塩梅が良くない。」「もっといい器使いすればもっと美味しいのに。」などなどの料理に出会うことの方が多いものです。
{青森を盛り合わせた前菜。津軽海峡ヤリイカと横浜町無農薬ほうれん草。陸奥湾アンコウ共和え。深浦雪人参。中里町紫花豆。津軽海峡鮑・蛸。大間町無添加生うに。黒石金時人参膾。}
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高い安いの値段に左右されること無く一つ一つの食材の目利き、衛生面、調理技術・知識、正確さや丁寧な下処理、緻密な調理と塩梅の向上、慣れからくる過信やずさんさなどの甘えを絶ち、いい意味で時間的にも精神的にも余裕を持って調理に取り掛かる事。などなど、完成度の高い料理を作り続け向上させていくという作業は、とても地味な仕事で、なかなかお客様に見えにくい分かりにくいという側面を持っているようです。
ある意味、完成された王道料理を半歩でも一歩でも進化させようとする為には、コツコツとした毎日繰り返される調理や技術を「もっといい方法は無いか?もっと美味しくする方法は無いか?もっといいアイディアは無いか?」などなどと考え、実験し分解し再構築して失敗し、それでも作り続けなければ前に進めることは出来ません。
‘卵焼き’という誰でも分かるような料理を進化させようと思っていても、「そんなものどこでも食べれる。誰でも出来る簡単な仕事。」と思っていては成長はありません。十回焼いて出来る事、百回焼いて覚える事、千回焼いて気付く事、数千回目に仕立て直しが可能な事、十年以上焼き続けたからこそ削ぎ落とし付け加えれた事などは、それぞれ‘卵焼き’という料理の質が違います。
‘見た目は綺麗で美しい。一見新しい料理と思える。’というような料理を作るほうが、王道料理を進化させることより手頃です。複雑に手が掛かっているように見える技巧的な料理のほうが仕立てやすいものです。
なぜ絵画の世界では、写真のように描写した作品より、ピカソやゴッホのような素人目には幼稚な子供が書いたように見える作品が後世まで評価されるのでしょうか?
料理も同じく基本がしっかり出来た上で、技巧的なものよりも、王道でいつの時代にも繰り返し作られる人間味溢れる料理が、一番美味しいのだと思います。余計なものを削ぎ落としたシンプルな料理が飽きずに食べ続けることが出来ます。
「美味しい料理を作ろう。完成度の高い料理を作ろう。自分の料理を進化させよう。」と考え、追求すればするほど、お客様の目に触れない地味な作業に知識や神経、経験や技術、時間とお金を使わなければ料理は向上しません。
焼く魚・煮る魚・揚げる魚、火を入れる魚であっても出来るだけ朝の活締めの魚を買い求める。
「皮を取ってしまうのだから関係無いでしょ。」と思われがちなお刺身に仕立てる魚の下処理も、一番大事な水洗いの段階で、生臭みの元となる鱗・ぬめり・血を徹底的に排除する事。鱗取りで鱗を取ったあと包丁で尻尾の方から頭の方へ包丁で皮目をこそげ鱗とぬめりを取る作業も、尻尾から頭の方へだけでなく、同じ時間をかけて今度は頭から尻尾のほうへ包丁で皮目をこそげ取る。それが終わってからぬめりをまとった尻尾やヒレを切り取り、腹の中の内臓・血合いなども徹底的に取り除き、流水で小さなたわしで魚全体を何度も擦り綺麗に洗い、綺麗なタオルでよく水気を拭き、包丁でこそいだ様に左から右、右から左に何度もタオルで魚の表面を拭いて徹底的にぬめりをふき取って始めて下処理が済みます。魚の正身の部分に包丁を入れる際、魚そのものは勿論の事、俎板・包丁・タオル・自分の手に生臭みを付けない事。これが出来て初めて卸す作業にかかれます。そこまでしなければいくら活締めの魚でも生臭みは取れません。野締めの魚は目に見えませんが正身に血が入ってしまって、この作業をしても生臭みは取れません。
蕎麦を打つ工程でも、一番華やかな伸ばした蕎麦生地を折りたたみ切る作業よりも、そば粉に水を加え捏ねる作業がもっとも大事であります。ですから、そば粉・小麦・水を合わせ捏ねて捏ねて捏ねて、三者を一体化し、目に見えない混ざり合った空気を抜く作業に手間と時間と神経を一番注ぎます。素人目には蕎麦生地がまとまっていればそれで良いように思われがちですが、その地味な作業が味わいを左右いたします。
野菜類は濁った味にならないように包丁をしたら必ず一度は水にくぐらせます。逆に果物類は水洗いしてから包丁を入れ、水っぽくならない様に香を無くしてしまわない為に包丁を入れたら絶対に水に入れない。例えばイチゴはへたを切り取ってから洗うのではなく洗ってからへたを切り取るなど。
濁った味を作らない為に、前に作った料理の香が移らない為に調理道具・鍋類は常に綺麗に洗い磨く。
などなどの仕込み段階などの工程は、お客様の目に映ることの無い地味な作業です。
その部分が一番大事で、完成度の高い料理を作るには、その部分に厚みを持たせることが不可欠です。
{世界遺産白神山地の恩恵を受けた深浦町天然柳カレイ自家製一夕干し。}
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魚の水洗いの下処理は、独立する前に多くの先輩や親方々から教わった作業工程・時間より、独立してから経験を重ねるうちに、他店で使われていた頃よりも自分で必要と感じ工程を増やし、倍以上の手間隙時間を掛けるようになりました。
もともと蕎麦打ちは独学ですが、教科書や映像、蕎麦職人や名人と呼ばれる方の作業を何度も目の前で拝見して自分で打つようになった当初から比べ、年数を重ねるうちに、打つよりも延ばすよりも、捏ねる時間に重点を置くようになりました。
そばつゆは当初は蕎麦屋さんのように、鰹・昆布に加え鯖節や干し椎茸などを加えた辛汁を作っていましたが、二年目には鯖節や干し椎茸を排除し、雑味をなくして鰹と昆布だけの洗練されたやわらかい味わいの出汁に変更し、五年目にはそれにコクと香を補う為に焼き干しを少々加えるようになりました。
何年も前から江戸料理の老舗のお店の卵焼きの写真を拝見していて、醤油を結構効かせた塩梅の焼き上がりなのに、加える調味料の中に分量は示されていませんが塩も加えてある事がずっと気になっていて「色具合から見ると多めに醤油が入っているのに、なぜそこにまた塩を加えるのだろう?必要ないのでは?」と考えていたのですが、実際に食べにお邪魔して味わってみると「なるほど!こうなるのか!」とそのお店のご主人が今までどれだけ数え切れないほどの卵を焼いてきたのかを思い知らされました。
今までは卵焼きは、八方出汁に出汁とお砂糖を加えて卵焼き用の出汁を使っていたのですが、数年前から八方出汁を取った後に出る出汁がらでゆっくりと二番出汁を取り、そこへ砂糖を加え、塩分は醤油ではなく塩を多めに利かせ、醤油には無い卵が塩の性質により凝固しやすい要素を利用し、卵の割合に対して出汁を今までより多めに加える事が出来、ジューシーな卵焼きを作るようになりました。
焼き上がったときも湯気が立ち上る熱々の卵焼きを密閉してしまい、香と水分を逃がさないように冷まします。多くの場合は「蒸れて腐敗しないように。」と焼きあがったものは密閉もせずそのまま冷ますのが一般的です。それでは香も水分も飛んでしまいます。
この卵焼きは関西の出汁巻き卵とは異なり熱々で食べることを前提した料理ではなく、常温で酒の肴として食べることを考慮した卵焼きです。鮨屋さんで出てくる海老等のすり身を入れた伊達巻のようなカステラの様な卵焼きとも違います。卵と出汁の相乗効果を利用した料理です。
卵も他店で働いていた時は、LLサイズやLサイズを使っていたのが、MサイズからMSサイズやSサイズの新鮮な卵に変えています。途中、地鶏の卵や米の餌を与えられた鶏の黄身がレモン色の卵、殻の色が様々な色の卵などを試しながら、今のところ津軽平野の赤鳥の小さい新鮮な卵に落ち着いています。
「年齢が若いときに子供を生んだほうが母子共に健康だし、子供そのものも元気で生まれてくる確立が高い。高齢出産だと母子にも負担がかかるし、子供もおとなしい割合が高いものですよ。」という産婦人科の方のお話を聞いて、自分が利用する卵が変化していくのは「そういう事なのかな~。」と感じます。卵のLLサイズは高齢で、小さいほど若鶏で美味しく、白身と黄身の比率も小さいほうが黄身が多く味も濃いものです。
{七戸町そば粉、津軽平野ネバリゴシ小麦を使って自家製手打ち蕎麦。}
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焼き魚は、身が締まってしまったり表面と中の味わいが異なるのが気になるので、柚庵焼きや味噌付け、照り焼きなどを自分なりに再構築し、漬け汁・味噌床の改良、昔ながらの照り焼きという仕事の排除などを行うようになりました。
卵や魚だけでなく、すべての食材・調味料・調理道具をコツコツと見直します。
独立してから、自分が経験を積み重ねてきた調理技術や・知識を排除したり、付け加えたり、仕立て直したり、変革・改良することは日常的なことです。
毎日繰り返される同じような調理・作業・工程などを、何度も見直し、仕立て直し、技術・経験・知識、今の自分が持っている要素と照らし合わせ何年も作り続けるからこそ到達できる完成できる領域があると、三十を過ぎた頃に理解が出来ました。
一つ一つの仕事に手間隙時間お金を掛け続けるからこそ、一品一品が向上し、完成度の高い料理が出来上がり、コースとして仕立てたとき、深みと奥行きと厚みのあるここでしか味わうことの出来ない料理が進化していくと思います。
完成度を高め厚みのある料理を作ろうとすればするほど、原価率が上がり作業工程が増え時間がかかり、いいのか悪いのか良く分かりません。
それでも板前生活を二十年近く送ってきて、何年にもわたってやってきた仕事であるのに、何かをきっかけについ最近気付くこともまだまだあり面白いです。
自分自身の仕事が発展途上であること、何年単位で継続して行わなければ身に付かないこと、料理だけでなく、サービスや経営などなど、3年、5年では分からないこと、10年経過してようやく気付くこと、これから続けなければ理解できない未知なことなど、完成度を高めることを常日頃から考えていても未完成であることが職人として経営者として楽しいもので料理屋家業もなかなかいいものだと思います。
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{地吹雪と晴れの狭間の岩木山。」

ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧ください。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧ください。
by tk-mirai | 2014-03-04 21:00 | Comments(0)

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