人気ブログランキング | 話題のタグを見る

偽書

{深浦町円覚寺。}
偽書_b0111551_2212407.jpg

自分のように料理を仕事とする者も、料理に興味があってご自分で包丁を握ったりする方々も、毎度毎度家族のために「今日は何を作ろうか?」と三度の食事に頭を悩ませる奥様方も料理本と言うものは、何かかしらの形でお役に立っている事と思われます。
自分のように仕事上料理の研究をしなければならないものにとっては、料理本は無くてはならない重要な役割を果たす存在であります。
普段の厨房では理解しがたい事や新しい料理作り、今まで知らなかった料理や先人が作り上げて来た王道料理・創作料理、新たな調理法や料理名・技術・知識などを知る貴重な辞典であります。
最初は写真付きの料理レシピのような本を良く見たものですが、そのうちどれもこれも示してある事に大差が無いことと自分自身がある程度の料理の基礎などを身に付けると、レシピ本よりも料理の考え方や長年料理を仕事としてきた方だからこそ話せる苦労話などを綴ってくれているエッセイのような料理本を見るようになりました。
二十代の頃は随分料理本集めに集中したもので、近所の本屋さんはもちろんの事、神保町の料理古本屋で買い集めたり、取り寄せたりなどして料理本を買い漁ったものですが、いつの頃からかあまり料理の本を見る機会が少なくなってしまいました。
二十代前半の頃は一般の料理本や専門誌、料理ガイドやテレビなどの料理番組、タレントさんがむやみやたらに褒めちぎる料理屋やレストランなどを拝見して、「青森より都会の方が料理はすごいんだろう、美味しいんだろう!」と思っていたものですが、いつの頃からか自分の暮らす青森というところが食文化では他を圧倒していると言う事を感じるようになり、仕事姿勢や商売の仕方、お客様を喜ばせるサービスの高さなどには興味があっても都会の料理にはあまり興味が無くなり、青森の郷土料理や全国の地方料理に関心が向くようになり、料理本を拝見する回数が少なくなっていきました。
料理本の多くは都会を中心に出版されるものです。関東料理や関西料理、特に京料理という言葉に日本人は弱いようです。一般の方々はまだまだ日本料理=京料理という認識の方々も多いかもしれません。
ですから、地方料理・郷土料理に興味が進むと見たい料理本がめっきり減ってしまうものです。なかなか郷土料理を紹介した本と言うものは出版されないものです。
自分はいつの頃からか「青森の食文化のレベルはすごい。これだけ食環境に恵まれた土地はそうあるものではない。青森の食材を使って青森の料理を作っていこう・・・。」と思うようになってからは青森の郷土料理を勉強する様に自然となっていきました。
{太平洋側の漁師料理鮑とウニがたっぷりの‘いちご煮’。黄色い野いちごに似たところから付いた名前。}
偽書_b0111551_22133822.jpg

関東や関西の料理はすばらしいものが多いです。技術や知識、料理哲学は地方を圧倒しているでしょう。地方の郷土料理には無い洗練があります。ところが食べてみるとどうでしょう?「見栄えはいい、プレゼンテーションもすばらしい、実に小奇麗に料理されている。値段も張る。でも食べてみると・・・。そうでもないよな~・・・。」というのが自分の感想でしょうか?
「日本の各地にはその気候風土に根ざした美味しい料理が都会でも地方でも必ずある。そして田舎料理・郷土料理・婆様料理には都会に無いすばらしい要素がある。ところが其処には料理の技術力や知識が乏しく田舎臭い。それを現代の料理技術を応用し、時代に合わせて仕立て直して改良すればすばらしい料理が出来る!」
そう思うようになってからは、郷土料理の研究をしなければならなくなりました。
料理と言うものはただ見たり食べたりして憶えて作っても薄っぺらい物しか出来ません。その料理が出来た時代背景や環境、気候風土なども重要な要素です。そこを追求していくと同じ料理でも作り続けることによって料理に厚みや奥行きが出てて味わいも深くなるものです。
皆様が聞き覚えがある料理名、‘竜田揚げ’‘南蛮漬け’‘牡丹餅’‘深川丼’‘唐揚げ’などなど他にも専門的になれば‘水無月豆腐’‘空也蒸し’‘ヒバリ和え’‘鉄刺’‘柚庵漬け’‘土佐酢’‘砧巻き’‘信州蒸し’‘吹き寄せ’‘鼈甲アン’などなどは料理本に幾らでも出てくるし、今ではインターネットを開けば幾らでも見れるし情報も入ることでしょう。
ところが‘ジャッパ汁’‘けの汁’`貝焼き味噌’‘鮟鱇の共あえ’‘ホッケの飯寿司’‘玉菜の鱒漬け’‘ミガキカッパ’‘筋子巻き’‘ササギの炒め物’‘真鱈子の塩辛’‘人参の子和え’‘十三湖蜆とミズの炒め物’‘茄子の紫蘇巻き’‘ナメコと菊の塩辛’‘サモダシの味噌汁’‘山菜の飯寿司’季節の‘練りこみ’‘ワカオイ昆布のお握り’‘ホヤとミズの水物’‘いちご煮’などなど他にも沢山ある津軽人が日常で食べている青森の郷土料理はどこを調べてもどこにも出てこない。都会を中心とする料理本にはまったく登場いたしません。
関東関西料理は古書を調べれば、その成り立ちや歴史を知り、実際そこにお邪魔すれば体感出来るし、自分の料理技術を応用すれば近いものは作ることは出来るでしょう。
ところが、青森の郷土料理は現在自分の家庭の食卓に存在してもその生い立ちや歴史を調べる事はなかなか出来るものではありません。なぜなら幾世代にも渡り代々家庭や井戸端で奥様方が母親やご近所さんから口伝や手取り足取り習い継承され改良されたもので料理書・古文書が存在しないからです。
自分が青森の料理を作り、料理に厚みを持たせる為にも、その土地の歴史や風土、料理が完成された背景・環境を調べなくてはなりません。
{車力村高山稲荷神社。1000年以上前の創建と推測され海上祈願をしている事から北前船が関係しているのでは?}
偽書_b0111551_22155147.jpg

そこで、頼る本もガイドも何も情報が無いので、自分で青森県内各地を回り食べ歩き、その土地の気候風土を体感し其処に住んでいる方々と酒を酌み交わしお国柄を知り、郷土史を紐解く作業に掛かりました。
そんなことをしていると実に面白い発見が沢山見つかり、知れば知るほど青森を出れば出るほど「青森っておもしぇ~な~!」と思うものです。
その中の一つに歴史・郷土史があり、教科書で語られない青森の奥深さを実感できるものです。
日本の歴史書の多くは偏ったもので、世界的に見てもその様ですがその時代の戦争の勝者が歴史書を作り自分たちを正当化したものが多数派と言えるでしょうか?
日本の歴史も料理書と同じく関東関西の限定地域を中心に近代では幕末・薩長を示したものが多いでしょうか?
それではそれ以外の日本の地域は何をなさっていたのでしょう?
青森市内には三内丸山遺跡という縄文時代に統制された国家が存在し、縄文の歴史観を覆した大きな遺跡があります。津軽半島の奥には太平山元遺跡という16500年前の遺跡があり、今のところ世界最古の縄文遺跡とされています。青森県の中央部八甲田山の麓の田舎館村では弥生時代(1980年ぐらいまでは北東北に弥生時代は水田は無かったというのが定説)の水田跡が発掘され、今でも実際に水田跡の上を歩く事も体験できます。木造町では宇宙人の顔をしたような重要文化財の遮光器土偶を有する亀ヶ岡遺跡もあります。青森市の小牧野遺跡ではストーンサークルも見ることが出来ます。八戸では最近国宝に認定された合掌土偶の是川遺跡もありその他たくさんの遺跡が青森県内では発掘され、義経伝説や坂之上田村麿伝説なども青森県内には多数あります。
近年全国的に飛鳥~奈良時代にかけて全長約6300km道幅は平均10数メートルの大きな古代のハイウェイが発掘されているそうですが、青森県では確認されていないようで、秋田・岩手では発見されているようです。なぜ、青森には無いのでしょう。田村麿も今では青森までは来ていなかった事が定説になっているようです。ところが、青森県各地に田村麻呂が創建したという神社・寺院が沢山あります。それでは誰が造ったのでしょう?誰にも分らないのですが青森には特に津軽地方には何かかしらの豊かな国家が有った様で、関東関西の方々も征服は出来なかったと推測できます。その背景には沢山の自然環境に恵まれた食糧資源があるでしょうか?それから、半年間雪に閉ざされ、八甲田山が険しく南国の方々には対応できない気候風土ではなかったのかとも考えられます。
{南部地方新郷村(旧戸来村)のキリストの墓。竹内古文書も見れます。}
偽書_b0111551_22172544.jpg

津軽には、1000年前に10万の水軍を擁し大陸との貿易により巨万の財を築いた都市が存在したと言えばどうでしょうか?ゴルゴダの丘で処刑されたのは弟のイスキリでキリストは逃れて南部地方の旧戸来村(ヘブライが土地の由来)にたどり着き其処で生涯をすごし今現在もキリストの墓があると言えばどうでしょうか?
青森には世界に誇れるロマン溢れる二つの偽書があります。
歴史や遺跡などにご興味の方々には知られた‘東日流(つがる)外三郡史’と‘竹内古文書’。
東日流外三郡史は「えふりこぎ(津軽弁)」(共通語で見栄っ張りなどの意味合い)の聖地・五所川原近郊の家屋の天井部分から大量の古文書が発見され、後にそれが村史として公共出版され話題を呼び、その史書は20年前に日本を震撼させた地下鉄サリン事件の教祖さんも愛読し、自らの作る経典に数多く引用し多大な影響を及ぼすまでになったものでもあるそうです。
竹内古文書は、竹内巨麿さんが明治の頃、自分の家に伝わる古文書を元に「キリストの墓はここだ!」と青森県戸来村を訪れたことが発端になり、今では毎年6月の日曜にキリスト例大祭と称し、キリストのお墓の周りで町内の叔母様方が摩訶不思議なリズムで舞を見せてくれます。(キリストなのに神事は仏事で行われていてそのギャップがロマンを誘います。)
東日流外三郡史も竹内古文書も偽書だとされています。
‘偽書’と認定されてもその内容全てを否定する事も難しいものでしょう。
外三郡史論争は裁判にまで発展したようですが、裁判所の出した判決は曖昧なもので、現行の法の下では偽書か正史書かは判断する事は出来ないようです。(ご興味のある方は‘偽書東日流(つがる)外三郡史事件’齋藤光政著をご覧下さい。かなり面白いです。)
現在でも偽書ではないかと推測されているものにかの有名な「論語」「孫子」「韓非子」「孟子」なども然り日本では古事記や十七条の憲法、五輪書や南方録まで偽書と論議されているようです。
では、日本書紀などはどうでしょう?正史と断言できる方はいるのでしょうか?
小説と詠っているからいいでしょうが、篤姫さんや竜馬さんや武蔵さんなどは内容的には少しは沿っているかもしれませんが、多くの方々はテレビで時代劇を見て史実と思ってしまっているかもしれません?
その時代に生きたわけでもない。その場にいたわけでもない。正史は誰一人分らないのではないかと感じてしまうものです。だからこそロマンがあり面白いものでしょう。
{岩木山神社お山参詣。二日目の夜の囃子は魂をふつふつとさせてくれます。}
偽書_b0111551_22184653.jpg

青森県内を回っていると東日流外三郡史や竹内古文書が偽書であっても、何かかしらここには昔から先人たちが長い間住み、固有の文化を形成し、気候風土に根ざした料理も開発し、歴史書や古文書を作らなくても豊かに暮らしていたのではないかと心をくすぐる彷彿とさせるものがあります。
十三湖近くの創建が1000年前とされる高山稲荷神社を拝見して、人口が数千人にも満たない車力村になんでこんなに大きな神社があるのだろう?
安東水軍はいなかったかもしれないけど奥津軽の十三湖の遺跡や福島城跡や唐川城跡は誰が作ったのだろう。
田村麿は来てい無いとされているのに、青森県内で一番壮麗な神社岩木山神社や檀家を持たない歴史あるお寺深浦円覚寺は誰が建立したのでしょう?
県内各地から沢山の縄文遺跡が発掘され沢山の出土品から大陸との交流があったとされているなら、どんな交流をしてどんな文化を持ったいたのでしょうか?
一代二代では到底出来ない、歴史や文化が無ければ祭りは起きないはずなのに、青森県内各地の個性的な起源も定かでないもしくは数百年続く祭りの数々(ねぶた・ねぷた、お山参詣、えんぶり、田名部祭り、三社大祭、よされ、大川原火流しなどなど)はどのように起こったのでしょう?ねぶたやお山参詣の囃子を耳にするとなぜか精神を鷲掴みします。
三内丸山遺跡を見学したり、田舎館村の弥生時代の水田跡を直に歩いたりすると、何か遺伝子でもくすぐられているように感じます。
津軽三味線や津軽民謡を耳にし、津軽塗りやこぎん刺しなどの工芸品を見ていれば根底に分厚に文化があるのを感じ取れます。
青森県内の豊かな多様性に富んだ自然を見て周り、食糧自給率の高さと食糧の多種さ、多様な郷土料理の数々を味わえば昔から青森は普段の生活が豊かで文化的であったと先人の足跡を読み取れます。
史書を作る理由に政治的なものと自らを正当化する事などがあるような気がいたします。
戦好きな民族と平和主義な民族があり、エスキモー、アイヌ、アボリジニー、サーミ、ネイティブアメリカン(過去にインディアンと呼ばれてしまった方々)などの民族そして津軽人は戦いを好まず、自然を尊重し際立った格差社会を作らずのんびり暮らしていたのではないかと推測出来、歴史書を必要としなかった。戦好きの民族は史書を大量生産したのではないかと考えてしまうものです。
料理書に偽書は無いかも知れません。それでも脚色された料理本やガイドはお見受けできます。歴史書と同じく料理書も中央集権化のようです。郷土料理がもっと注目されてもいい時期と感じます。
料理書も偽書も人生の楽しい時間を過ごすにはとても貴重な財産です。
東日流外三郡史や竹内古文書のような、間違って錯覚してしまうほどのロマン溢れる書物が又現れて、青森を楽しくさせてくれればいいものだと思うものです。
偽書_b0111551_2222674.jpg

{浪岡町中世北畠氏の城跡国史跡の浪岡城址のモコモコの桜の花ももう少しで見れます。}

ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理も’ごらんください。
Commented by un at 2012-03-31 12:45 x
>‘偽書東日流(つがる)外三郡史事件’齋藤政著をご覧下さい

作者の名前が違いますね
Commented by un at 2012-03-31 12:50 x
>{車力村高山稲荷神社。1000年以上前の創建と推測され海上祈願をしている事から北前船が関係しているのでは?}

北前船という概念が出来たのは江戸時代からです
Commented by tk-mirai at 2012-03-31 20:39
unさん今日は。始めまして。そうなんです。よく誤字脱字があるんです。ご指摘戴きありがとう御座います。斉藤光政さんは、最近は原発関係の本も出版しています。読んでいるのに名前を間違えるのは失礼ですよね。
分りやすく説明すると北前船と示しましたが、それ以前を何と表現すればよいのか分らず北前船としました。ずっと昔から日本海側を中心に活動していただろう船や人々を何と表現したらいいのでしょうね?歴史書や古文書に無いものは新語を作るしかないかもしれません。ご面倒お掛けいたしますが何かいい案があったら教えていただけ無いでしょうか?よろしくお願い致します。
by tk-mirai | 2012-03-26 20:44 | Comments(3)

未来のオーナーのブログ


by tk-mirai
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31