人気ブログランキング |

納豆考

      ~営業のご案内~
 青森ねぶた期間中は休まず営業いたします。
 7日(日曜日)も営業いたしますので
 よろしくお願い致します。
 8月13日(土)お盆も営業いたします。

{世界の名物青森ねぶた。祭り間近の台上げ作業。}
b0111551_18434372.jpg

「禅を学ぶ前には、山はただの山に過ぎず、川はただの川に過ぎない。しかし、禅を学んだ時、山はただの山ではなく、川もまたただの川ではない。だが、悟りを得た今、ふたたび山はただの山であり、川もまた、ただの川である・・・・。」
禅語の一説でありますが、知識や経験が有って物事に取り組むのと無知で臨むのでは、まったく内容が違うものであります。
そして、多くの経験を積んだからこそ行き着くところと、扉を開けることさえ出来ない、もしくはスタートラインから進まずに終わってしまう事もあるでしょう。頂上まで行って降りる事も知らず「これでお終い。」と勘違いをする事もあるかもしれません。
いくら努力しても乗り越えられない壁もあれば、持って生まれた才覚で壱を聞いて十を知る者もいるでしょう。
人間の能力で不思議なところは本能は別にして、経験は遺伝をしないこと。
親や先祖が経験してきた失敗や成功を生まれ持って備わって遺伝してくる訳ではない事。
どんなに周りにアドバイスや経験談を聞かされても自分自身が経験しなければ何も分らない事。
自分が若かれし頃に失敗やつまづきをして経験を重ね、同じように自分より若い者が壁にぶつかった時、「自分も同じだった。あの時こうすれば良かった。こっちの道を選べば今頃は違う世界が開けていたかもしれない・・・。」といくら語り聞かせても、聞いている本人はその時は何も理解が出来ないものであります。
本人は後になって「あの時のあの人の言葉はこういう事だったんだ!」と振り返ったり後悔したりするものでしょう。
もしもまた同じような経験をする事が会ったら、経験を積んだ今となっては「昔とは別な結果や答えを出していただろう・・・。」と感じるものでしょう。
「なぜあの時こうしなかったのだろう?」「なぜ今の今までこんな事に気が付かなかったのだろう・・・。」と自分を責めることは誰にでもある経験と思われます。
{夏の味覚。津軽海峡産煮鮑。}
b0111551_18482284.jpg

自分自身が何より食べる事が好きで飲食業界に身を委ね、この仕事を始めた時は食べ物というものは「よく分らなかった・・・。」
今でもそう思う事はありますが、十九~二十歳の頃に比べればいくらかは進歩したような気がいたします。
その頃は、鯛を前にしたとき鯛はただの鯛でありました。養殖だとか天然だとか活締め野締めの違いも知りませんでした。卵はただの卵でありました。若鶏とか老鶏だとか産みたてだとか日数がたっているとか気が付きませんでした。日本酒は本醸造も純米吟醸も「日本酒」と言う事だけで全て同じものでありました。包丁もステンレスも日本鋼も「包丁」というひとくくりの道具でしかありませんでした。器も白磁であろうが焼き締めであろうがただの器でしか見ていませんでした。塩や砂糖などの調味料も格差や中身などを知る由はありませんでした。
唯一自分が恵まれていたのは、青森という土地に生まれ、当たり前の様に美味しい空気と水を飲み、中身を知らずとも朝摘みの野菜や山菜を食べ、ビチビチ飛び跳ねる魚を幼少から食べ、既製品や添加物まみれの食品を口にしないで育ったということが、飲食業界で周りに流されずやっていけている事でしょうか。
人口の少ない土地でリピートしていただけるお客さんを喜ばせる一番の要因は、何と言っても味であると思います。
見た目や話題、流行やプレゼンテーションではお客様は2度目は有りません。
信じられるものは人様やメディアで「美味しい。」と言った物ではなく、自分自身が美味しいと感じるものしかありません。自分の味覚だけが頼りです。
今となっては、食材も調味料も器も道具も吟味し、質を追及した仕事を心がけているものです。
魚は天然物の活締めを、野菜は旬と鮮度を間違えず、調味料はお客様には見えずともかなり高値のものを使っています。道具も取り寄せや受注発注の物ばかり、器も特注品が多くを占め、アルコール類も酒屋さん任せにせず自分で試飲したものばかりを揃えています。
{津軽海峡産天然活締め真鯛1・4キロ。締めたての鯛は指で鱗が剥れます。今年は水温が2~3度低い様で7月末でも海峡で状態の良いサイズが揚がっています。}
b0111551_1850723.jpg

そんな感じで四六時中料理を追及して食べ続けていると、少しは食べ物の中身や質や格差が分ってくるものですし、たまには作るのも食べるのも飽きる事も多々あります。
今では職業病なのか、肉も生魚も食べ飽きたのかあまり進まず、ごくごく普通の料理が美味しいものです。
と言っても、見た目や名前は同じ料理でも中身や質はまったく違うものを食べるようになるものです。
知らないときは料理名や商品名が一緒であれば、みんな同じで中身も質も気にせず、価格だけで選んでしまう事もあったかもしれません。
ところが食べ物でも何にでも共通する事と思われますが、「知っているか。知らないか。」「高品質高額か、安いだけか。」と二極化があるものです。
何も知らず、普段中身を気にせず朝食にご飯に目刺しに納豆に豆腐の味噌汁に漬物を食べて、少しばかり料理に興味を持ち、ダイニングバーだ、イタリアンだ、焼肉だ、フレンチだ、寿司だ、割烹屋だと進んでいって同じ朝食を食べると「ん~。ちょっと待てよ。もっと美味しいご飯が、美味しい目刺しが、納豆が、豆腐が、漬物があるはず!もっと美味しい物を食べてみたい!質を高めよう!」と値段よりも中身を気にし始め、食道楽の不幸な道に足を踏み入れるものでしょう。
そしてあれやこれやと手に入る食材は手当たり次第に買いあさり一通り食べつくし、美味しい店はないかと食べ歩き不経済な事をしてしまうものであります。
ところがそんなことを何年も続けていると終いには飽きてしまうもので、極普通の食事を求めるものです。
自分の経験上、飽きずに毎日食べれるものは白いご飯しかありません。
そのほかのものは毎日食べると飽きてしまいます。
ですから、炊き立ての白いご飯とお味噌汁、旬の青菜と焼き魚と納豆と季節の漬物があれば一番のご馳走になります。それらは吟味して値段を気にせず選りすぐります。
何も中身を知らないで食べていたときに比べれば価格は三倍はするでしょうか・・・。
料理屋を食べ慣れた方々や食道楽の方々は一様に同じ意見の様です。
その様な方々は好んで高級食材を召し上がりません。そのようなものは食べ飽きている為、シンプルな不純物の無い洗練されて味をお求めになります。
どこにでもありそうで、ちょっとやそっとじゃ手に入らないような吟味された見た目はごく普通の食事をしているようです。
「あそこの米が美味しい。」「あそこの豆腐がいい。」「お味噌を探すのは苦労しますよね。」「醤油はあれがいいですよ。」などとよくお客様と会話いたします。
{お世話になる頻度が多い野辺地納豆。限定販売で国産大豆100%も有るようです。}
b0111551_18534510.jpg

お客様と納豆の話もよく話題に登ります。
自分は一日納豆は2パック食べるものです。
スーパーで見かける納豆は全種類食べているでしょう。
ところが納豆本来の美味しさを追求している納豆は少ないものです。タレや薬味にこったり、パックだけが立派というものも多いものです。
「私は丸派」「自分はひき割り派」「食べ方はこう」「納豆はこうしたら美味しい」などなど納豆談義に花咲かせ、皆さんそれぞれ自論をお持ちで聞いていて実に面白いものです。
自分も納豆はご飯のお供に毎日のようにお世話になるので、納豆の選択は勿論食べ方も色々と楽しんでおります。
大根おろしを加えたり、芥子・山葵・海苔・卵・茹でて刻んだ小松菜などなどを加えたり、汁物にしたり、かき揚などにもします。が、一番シンプルにそばつゆを掛けて食べるのが王道でしょう。葱を入れることはありません。納豆の味を阻害してしまう為納豆に葱の出番はありません。
丸専門です。ひき割りはほとんど食べてきませんでした。
幼少の頃からひき割りは美味しいと思った事はありませんでした。
ぶつぶつしているだけで丸に比べ苦味も強く、味わいも乏しくひき割りの何がいいのか分りませんでした。
ところが家の冷蔵庫にはひき割りが多く余り好んで納豆を食べる事はありませんでした。
何と言っても兄貴がひき割り派で、昭和の上下関係には逆らえません。
小学生の頃「おんちゃん、何でひき割りなの?丸の方が美味しいでしょう?」と聞くと「バガでね~。ひき割りのほうが醤油が絡んでめぇ~(美味しい)べな!」と言われ「それってただ醤油好きでしょっぱ口なだけじゃないの・・。」と思いながら仕方なく兄を立ててひき割りを口にしていたものでした。
二十歳を過ぎる頃には兄貴は偏食で食べ物にもあまり興味が無いことも分り始め兄貴の友人からも「兄弟とは思えないよね?」と言われるものです。
自分で働くようになってからは、丸しか所望せず、20代の頃は2~3度しかひき割りは食べた記憶はありません。
大粒の黒豆納豆もいいですし、小粒もいいでしょう。好んで買い求めるのは、野辺地納豆に黒石温泉郷納豆でしょうか。
{始めての境地。‘納豆の納豆和え’}
b0111551_18545367.jpg

色々なものに食べ飽きて納豆生活をする事何年になるでしょうか?
ほぼ毎日納豆のお世話になって食べ続け、近年何とはなしにひき割りを食べる機会に恵まれました。
その時は「ひき割りか~。何年ぶりだろう?まあ食べてみるべ・・・。」と口に運ぶと、「おお、お、お、こ、こ、これは・・・。」とそのひき割りのサラサラ感とのど越しのよさ、旨みは少なくとも丸には無い軽快さがひき割りに潜んでいた事に驚かされました。
「んん~。なるほど悪くはないな。」と思いながらも「でも、丸の方が味覚は勝るな。」とも感じたものでした。
それから、ここ一年ほどでひき割りを食べる機会が多くなり、ひき割りのよさを受け止める度量を備える人物に成長したかもしれません。
二十代の頃は気力体力も勢いがあり、食べ疲れる事など知る由も無く、丸を口に含んだちょっとしたごわごわ感も気にせず食べれたものです。
ところが歳を重ねると、ちょっと体力的に疲れたときなど噛むことが億劫になることもしばしば出てくるようになりました。その為、骨付きの肉をかぶりつくなど呵責力が必要な行為は今ではとっくに遠慮したいものです。
丸のごわごわ感を解消するには大根卸しをたっぷり加えご飯に乗っけて食べるのが上々です。
そして今年に入り、人類史に残るやも知れない、相対性理論よりもリーマン予想よりも人類に貢献する世紀の発見をしてしまいました。
大地震直後、鳴り響く電話はキャンセルばかり、店は閑古鳥。
「これからどうなるのだろう?この繁盛期にこんな具合では店はやっていけるのか?」と一人薄暗い中悶々と思案に暮れながら昼飯時に納豆に対峙すると、そこには丸とひき割りがひとパックづつ、「別々に食べるのも面倒だし、一緒にしてみよう。」と合わせてそばつゆを掛け、サッササと混ぜ頬張ると「な、な、何と!」
口に含むファーストタッチは引き割りの心地よさ、サラサラと口に進み丸の旨みと引き割りの軽快さが一つになり、初めて出会う納豆の新境地。「美味い。これはすばらしい!」
今まで何度と無く納豆と接してきてこれ程の驚きは経験が無い。と同時に「なぜ、今の今までこれに気付かなかったのだろう?‘納豆を納豆で和える’・・・・。何たる愚。納豆を軽んじてはいなかっただろうか?毎日の‘慣れ’で納豆の可能性を自ら捨ててしまい納豆を追求する事を忘れてしまってはいなかったか?納豆を敬う気持ちを無くしてはいなかったか?」と自分を責めたものでした。
今まで多くの方々が「どこそこの納豆が美味しい。」「納豆は粘りがなくなるまでかき混ぜると美味しい。」「納豆にはこの食べ方がベスト。」などなど色々な意見は耳にしてきたものでしたが、‘納豆を納豆で和える’とは誰一人話す方は居りませんでした。
幼少の折、納豆と出会った時は納豆はただの納豆だった。
そして今でも納豆はやっぱりただの納豆でありました。
b0111551_18554911.jpg

{五所川原、重要文化財旧平山家。津軽一帯で一番古い建造物。200年以上だそうです。}


ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
by tk-mirai | 2011-07-28 22:28 | Comments(0)

未来のオーナーのブログ


by tk-mirai
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30