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淡・濃・淡

{お酒のおつまみに。トゲクリガ二、シャコ、アイコ(山菜)など}
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四季の移ろいが豊かな青森に生まれ育ち、食べる事が何より好きで飲食店を生業として、毎日様々な地元の食材に接し料理を作り続け、色々なところに食べ歩いてみて、青森を出れば出るほど青森の食材・食文化の豊かさに「青森はすごいですね~。」と毎度毎度感心するばかりです。
環境・季節・気候・風土が変化に富んでいて豊かだからこそ、沢山の個性的な食材に巡り会えるものでしょう。
日本には二十四節気・雑節・七十二侯(元は中国暦)という季語があるほど季節の移ろいに変化があり、その環境がまた様々な食材を育むものでしょう。
雨季や乾季の二季や春夏秋冬の四季は世界各地に沢山あるものでしょうが、日本の様に二十四節・雑節・七十二侯とそれらが生み出す多種多様な海産物・農産物などは、なかなか他の土地ではお目に掛かれないかと推測いたします。
昨今の気候の変化で、実際二十四節を体感できる環境などは限られているようで、コンクリートジャングルの大都市ではなかなか‘穀雨’や‘白露’や‘芒種’などは天気予報で見聞きするだけで実感は出来ないものではないでしょうか?
勿論、自然豊かな環境に住まっていてもそんなことに無関心であれば感じることも無いでしょうが、自分なんぞは毎日毎日天然食材と接している為、季節の移り変わり七十二侯などを感じ取る事が出来るものです。
その様な豊かな環境が、穏やかで繊細で芳醇で端麗で濃密な動植物を作り出すもので、人も同じく‘日本人らしい’と言うのは、環境が作り出すものでしょう。
そんな繊細で変化に富んだ食材を食べ分けれるのも古来は日本人ならでわのものであったでしょう。
水の味を飲み分けたり、豆腐や納豆の味の違い、白身魚のお刺身の食べ分け、日本酒の繊細さなどを講釈できたのも日本に生まれ育って出来る事と思われます。
今では、大量の工業製品・既製品・加工食品ばかり口にしている方々が多いので、化学調味料が入っているか、保存料や添加物が入っているか、不純物が混じっているか等を食べ分けれる方々も少数派になっているので、豆腐の味わいや水の味わいの食べ分け飲み分けが出来る方々は貴重な日本人かも知れませんね。
{繊細な味わいの活締めの天然マゾイとホッケをお刺身用に割く取り。}
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味覚というものは実に曖昧なもので、人様やマスコミ・テレビなどで「美味しい!美味しい!」と話していたって、実際自分で食べてみれば「どうでしょうか・・・?」ということがよくあるものでしょう。
毎日ハンバーガーばかり頬張っている方に、100円の料理も10000円の料理も大差は無く感じられるかもしれません。。
お酒を飲んだことが無い人にとっては、一本300円のお酒も30000円のお酒も何がその差を生むのか理解は出来ないでしょう。
見た目はほぼ変わらないのに「値段の格差は何なのだろう?」とも思わず「安ければそれに越した事は無い。」とお買い求めになるかも知れません。
料理本や評論家の意見を鵜呑みにして講釈が優先してしまっても味を語ることは出来ないでしょう。
我々料理業界の人間が集まっても、‘美味しさ’には格差があり、どれがいい悪いというわけでも無いですが、誰かが美味しいと言ったものは誰かには美味しく感じられない事やまたその逆もあるものです。
濃厚なものがお好みの方もいらっしゃれば、淡白なものを所望する方も居られます。
味覚の好みに関しては見えない分曖昧で、季節や体調、年齢や性別、経験などによってもかなりの変化があるものでしょう。
それから味覚もそのほかの身体能力と同じく、生まれ持った感性が大きく関ってくるものでしょう。
生まれもって運動の優れた方、学力がある方、プラス思考の方、几帳面な方、人を引き付ける魅力のある方などなど持って生まれた性質が味覚にも言えることですね。
‘美味しい’を知るということは経験だけでは得られないものがあるもののようで、ただ多く食べたからといって理解が出来るものでも無いし、少ない経験から備わった味覚で‘美味しさ’を知ることも出来るようです。
何歳になってもまったく味が分からない方もいらっしゃれば、幼少から大人が好むものを召し上がる方もいらっしゃいます。
我々飲食業界では味覚を磨く為には、12~22歳くらいに味覚を鍛錬すればいいと言われているのですが、其処から先は経験の積み重ねも必要ですし、いくら訓練経験しても向上しない方もいるようです。
それでも‘食べる’という行いは誰しもが人生の中で一番多く経験する事のひとつに上げられるので、食べる事に執着のある方々なら、時間差はあっても大体は同じ味の道を進んでいくような気配がいたします。
勿論、これは食べる事に多額のお金を掛けてきた方々に当てはまる事であると思いますが、食べ進むと‘淡・濃・淡’になると思われます。
これはシンプルから複雑へ、複雑からシンプルへ移行していく事と同じでありますが、若い時は‘複雑’で停滞しがちでしょう。
料理作りも‘基本から応用、応用から基本’に戻り別次元の基本料理が出来るようになるでしょう。
{緑が美しい弘前の青豆をサッと煮含める。}
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最初経験の無い料理や食材、飲み物などは、舌に基準が無いため、それが美味しいと感じてもどれくらいの美味しさかが理解が出来ないものでしょう。(自分はワインを知らないうちにDRCのグランエシェゾーを飲まされました・・・・。その時は美味しかったけどどれぐらいのものかは分らなかったです。)
特に個性的な食べ物・飲み物は最初のうち、濃いものは受け付けず、薄いものから初めていくものでしょう。
ところが回数を重ねるうちにそれに慣れてきて、少しずつ濃くても「大丈夫。食べれる!」となり、少しずつ濃いものを所望するようになります。
コーヒーなどで例えると、最初はあの焦げたような苦味と香りに閉口し、お砂糖をたっぷり入れたり、慣れてきてもクリームなどでマイルドにして飲むものでしょう。
ところがコーヒーそのものに対抗力が付き始めると、所謂‘ブラック’でも飲めるようになるものです。
アメリカンからブラックに、そしてエスプレッソなどに移行して段々段々濃いものでなければ物足りないと感じるようになるものでしょう。
芋焼酎なども始めは臭くて遠慮しているうち、知らず知らず何種類か飲み進むと、3Mを飲みさつま白波になるようです。
ところが食べ物・飲み物に関して自分の少ない経験からですが、‘どんな食材・料理・飲み物でも飽きないうち分らない。飽きるまで飽きるまで飲み食いし、もう食べたくない見たくないという事を経験し、忘れた頃に飲み食いしてみて始めてその食べ物や飲み物を理解出来る’というのが自論であります。
そこまで経験すると、「濃いものはすぐ飽きるし、体が受け付けない。」となります。
ですからまた淡いものに移行していくものでありますが、それは最初に何も分らず経験した薄い味に戻るのではなく、洗練され研ぎ澄まされたハイレベルの淡い味を所望するものです。
その料理・食材・飲み物の講釈もうんちくも分った上で、洗練された繊細で穏やかな味を選ぶものでしょう。
料理を作り続け食べ続けている経験から見ると、ハイレベルの日本料理ほど、‘洗練され品があり、余計なものをそぎ落としゴテゴテとせずシンプルに繊細で穏やかでそのもの本来の食材のいいところだけを抜き取った。’という料理になっているものです。
繊細で淡い味が美味しいと感じるまでは、それなりの時間とお金を要するものでしょう。
いくら美味しい味覚が備わって生まれてきても、小学生が「この山葵の味は洗練され甘味と辛味の味が均一で鼻に抜ける香りも清楚で柔らかく、粉山葵とは別物である!」とは言えるものでは無いでしょう。
若かれし頃はどうしても脂っこいものやインパクトがある味、濃いものばかりを好むものでしょう。
マヨネーズやケチャップ、ソースや脂多目、香辛料なども沢山利かせパンチが効いていると美味しく感じるものです。
それが経験や年齢を重ねるうちに、繊細なものあっさりしたもの淡い味を所望するものです。
淡い美味しさとは薄いわけではなく、骨格がしっかりし味に深みがあり、‘甘い辛い酸っぱい苦い塩辛い’の五味が均一に調和が取れ、何一つ突起する事無く洗練され丸みのある味わいを言うものでしょう。
ところがなかなかそういう食べ物飲み物は、量が少ないしお高く付くし口にする機会が少ないし、玄人好みで評価されないし売れないのが今の現状のようでありますね。
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{木造(きづくり)のベンセ湿原の咲き乱れるニッコウキスゲ。}

ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
by tk-mirai | 2011-06-15 21:50 | Comments(0)

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