簡素化の意味

{陸奥湾特産トゲクリカニ。}
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とあるところで古着屋さんのお話を伺う機会がありました。
その古着屋さんは、お客様のご自宅に直接お伺いし、箪笥や押入れで熟睡している年代物の服を品定めして買取をするというような事。
中には現代の日本人では、全く好まないような30年ほど前の貴重なヴィンテージ物もあるようで、状態さえよければ買取をするそうです。
「そんな物売れるんですかね~。」と不思議そうにしていると「今は大陸の方々には人気なんですよ。」との事。
日本がバブル全盛と言われた時代には、ずいぶん個性的な何色もの色が散りばめられた洋服が流行し、昨今は日本人は見向きもしないような柄物が大陸のほうでは流行しているらしいです。
昭和後期から平成初期に掛けては、今から見れば色々な物がずいぶんゴテゴテしたデザイン・形状のものが多かったもので、シンプルなものは少数派だったと思います。
ここ10年ほどで色々なジャンルの商品・デザインを窺ってみると、どの分野においても簡素化が進み、それでいて機能性が高く複合的多様性があり使い勝手がよい。という製品が増えてきたように見受けられます。
一昔前までは、旦那さん方は、見た目よりも実用性を重視し、少しくらい不恰好お値段もちょっと高めでもそんなことは気にせず使い勝手のいいものを選んで買い付けているか、そこに奥様方が「ちょっと何それ。もっと可愛いのか綺麗なのにして・・・。」と実用性や機能性を無視し、見た目優先の実に使いづらい商品を好んで買い求めていたものでしょう。
特にここ5~7年ほどは、様々な製品の簡素化の流れは流行を通り越し定着をし、シンプルは当たり前のようになったような感じがいたします。それはそれでいいのかもしれませんが、それだけに多くのものが均一化され優等生の商品が数多く出回り、大量生産で「何処にでもあるような・・・・。」という感じにも成りつつあります。商品の様子も個性が失われ買い手に訴えかけるものが少なく、どこかよそよそしいというか工場生産見え見えで、職人の作り出す手仕事の姿は全く感じられず、こだわりや義理人情作り手のぬくもりや感性や思いなどは感じられない商品ばかりが溢れているような感じがいたします。
個人的な意見ですが、りんご屋さんが送り出してくる製品が、音楽業界・電話業界などを変革してしまい、その製品・デザインその商品開発その営業・販売方法などが、ビジネスモデルになり、今はその手法がスタンダードに成ってしまったように思われます。
{陸奥湾特産天然コノコを使って澄まし汁。海鼠の卵巣です。高級珍味。器:江戸~明治始の古染付}
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料理のほうに目を向けてみると、景気のいいときは社会背景も大らかで何でも「OK!」というようなところが有ったものです。シンプルな料理もあったけど、どちらかというとゴテゴテした料理や飾り付けが多く過剰なものが多かった感じがいたします。
その頃は素材の美味しさ持ち味というよりは、料理人の腕というのか「こんなことも出来るんだ!」と技巧的な料理や食材の姿形も見えないごちゃ混ぜ料理でも大丈夫な時代でした。
中には「俺の握った寿司が食えねえのか!」と職人がお客様を前にして威張り散らしたり、年配の職人が若い職人をお客様の目の前で怒鳴り散らしたり蹴飛ばしたりしても平気なお店もありました。
自分が料理業界に入った頃はそんな時代が終わりを告げようとしていた時でしたが、まだまだ封建的で閉鎖的な縦社会で年上の言うことは絶対だというような風潮が厨房の中にはありました。
その頃の親方や先輩方は、タバコをくわえながら刺身を引いたり、タバコを吸いながら寿司を握ったり、ちょっとでも店が暇になると店は若い衆に任せてお姉さんのいる飲み屋さんに営業時間中でも姿を暗ましたりする親方がいても不思議じゃない時代でした。
今でもそんな感じの料理屋さんがあるのかは不明ですが、遊んでばかりいていい加減な職人がゴロゴロしていたバブル期は、料理も次々流れ作業のようにゴロゴロしていたものです。
その景気のいい全盛期の頃を体験した方々の中には「今の若者は・・・。」という方もおられますが、その境で両方見ている自分からすると今の若者のほうが礼儀正しくまじめな方が多いと感じます。一昔二昔前は時代が遊ばせ許し、それに踊らされていた大人が多かったような記憶が有ります。
{陸奥湾特産天然トゲクリカニと陸奥湾特産天然モスソ貝味噌和え。津軽ではツブと呼ばれる貝ですが、ほかの地域にもあるのかは不明です。器:津軽塗り木の葉皿漆黒}
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今では色々な製品がシンプルになり、それが当たり前に成っていますが、料理は時に時代背景・地域によって複雑化するときも有りますが、元来はとてもシンプルなものでしょう。
特に日本料理というものはシンプルの最先端であり、古典料理でさえシンプル極まりない。古典料理は他のジャンルに左右されることなく簡素であり王道であり普遍的なものと感じます。
目玉焼きっていつ頃から食べられていて、いつ頃まで食べられるのだろう?
何世代先まで目玉焼きは伝承され、目玉焼きという料理の寿命や普遍性はどうなんだろう?
目玉焼きは人と卵さえあれが無くなるものではないと思われますが、スマートフォンは近い将来無くなるでしょう。スマートフォンはシンプルさと寿命では目玉焼きには及ばない。
シンプルな料理は社会背景・時代に左右されず、人事には干渉されないものと思われます。
どうしてシンプルな料理は時代を超えられ作り続けられるのかと言えば「必要でそれが一番美味しいから。」というより答えは無いような気がいたします。
美味しい豆腐があれば、‘夏は奴に冬は湯豆腐’。それ以上に豆腐を美味しく食べる方法はありません。
美味しさが掛けた豆腐であれば、余計な調理やほかの食材と組み合わせていくことになり、ごちゃごちゃになって少しずつ豆腐の美味しさは無関係になっていくでしょう。
食材が良ければ何もする必要性はありません。必要以上に手を加えないシンプルな調理が料理を最も美味しく食べるコツです。
{津軽海峡産天然子持ちのヤリイカ煮付け。春だけ胴体にたっぷりと卵が入っています。と陸奥湾産天然活締め鮟鱇共合え。鮟鱇を茹でて肝と味噌和えした郷土料理。器:津軽塗り木の葉皿朱}
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シンプルな料理程、そのものの本質が見えるものでしょう。
複雑な調理や多種多様の食材・調味料を多用すれば食材の質が劣っていても隠すことが出来ます。
ハリウッドの黎明期にマックスファクターさんが、女優の粗隠しの要望に答え数々の化粧品を開発して財産を築いたように見られたくないものは覆ってしまうか飾り付けるのが一番です。
シンプルな調理では食材の粗悪な部分が見えてしまいます。誤魔化しが効きません。
料理を生業として日が浅かった頃、シンプルな料理をお客様に進めるのを少しためらったものです。
「何も料理をしていないように見られるのではないか?」「何処にでもある料理だ。と思われるのではないか?」「腕が無いから食材をそのまま出しているだけ。と考えるのではないか?」などなどと、余計な思いが駆け巡ったものです。
今では、「それが一番美味しい!」と言い切れる経験・知識・味覚の蓄積があるので、シンプルな料理を勧めることが当たり前という状態です。
料理を仕事として積み重ねた経験・知識・技術から言えることは、美味しい料理は「簡素なもの」ということです。
食材を多種多様に混ぜ合わせた料理や調味料が沢山付け加えられた料理は、洗練されたシンプルな料理には味覚のうえでは到底かないません。解る人から見れば全く土俵が違うというか、プロの力士と幼児の相撲のようなものです。
けれども、シンプルな料理が最上だと断言出来るまでには、多くの知識・技術・経験が必要です。それから元々持っている味覚の才能も不可欠です。
{陸奥湾産ホタテとホタテの卵(ピンク色のもの)2~3月だけの珍味。と陸奥湾平内産赤貝磨きゴマ和え。器:津軽塗り木の葉皿緑}
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「シンプルが一番。それが最も美味しい。料理を簡素化する。」と決めて調理を進めるとき何が一番大事かといえば、最も優れた食材を探し出す事。そして、その食材個々の個性を重々理解し把握する事。良いところも不必要なところも受け入れ、必要な要素だけを残しそれ以外の要素は個性が失われないようにそぎ落としていく事。包丁と調味料の数を減らし、食材の持ち味を生かす事。
料理がシンプルだからといって、調理時間・工程が単純・時間が短いわけではありません。複雑な料理より手間も時間も原価も掛かるものです。主役が明確な料理ほど奥深いものです。
たまに、その様な料理に出会うことがあれば、素直に嬉しくなるものです。
一見、何の変哲もない簡単に料理しているように見えて、その料理の姿からは作り手の多くの苦労や料理哲学が垣間見れるものです。
何箱もある中から吟味に吟味を重ねその中の数個しかない上質の食材を探し出してきたのではないか?その為には毎日毎日市場に足を運び食材屋さんと友好的な関係を築いているのではないか?値切らず値段交渉もなしで買い付けているのではないか?その食材の個性・性質を長年の経験から熟知し、どのように調理すれば最も美味しいか?美味しくするためには何をして何をしないのか?出来ても余計なことをせず技巧に走らず何処まで手を下しやらない判断は何処までなのか?包丁の切れ味はどうだろう?調理道具はどのレベルだろう?加熱の仕方はどんな加減だろう?調味料の質は?衛生面は?器は?などなど考えると料理はきりが有りません。
「美味しい料理は簡素である。」という答えは明確に出ていますが、料理というものは食べ手が居て始めて存在価値があるものです。その食べ手の好み・食経験・履歴・健康状態など様々に食事環境は変化していきます。必ずしもシンプルな料理が美味しいと言っていただける訳ではありません。そこまでたどり着くには食べ手の食の経験・食への投資・持って生まれた味覚などの幾重もの積み重ねが必要です。料理を作るときに最優先するのは調理よりも食べ手を把握する方が重要と思います。
料理だけで考えれば答えは明確なのに、そこに人が関わってくると答えも本当も絶対も存在しなくなってしまうようです。
人の生き方に明確な答えがないように、料理も本当がないから面白みがあるのかもしれませんね。

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{雪解けの始まった岩木山。}

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by tk-mirai | 2017-03-21 22:28 | Comments(0)

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