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{八甲田山城ヶ倉大橋。}
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スポーツや芸能、料理や芸術などを楽しむ要素の中に、一般の方々には真似の出来ないテクニックなどの技があると思います。
角界では、小兵力士が大きな力士に小股掬いや内無双などを決めたり、野球では三塁線上に転がす送りバントや逆方向への流し打ちなどを見ると「上手いですね~。」「見事ですね~。」「業師。」「安打製造機。」などと評して職人芸を賞賛いたします。
料理の世界でもフグを捌いたりお蕎麦を打ったり野菜を花型に剥いたりする技術をご覧いただいて、お客様は職人技を楽しんでいただけることでしょう。
色々な職業で専門知識を持ち、専門技術を擁し、時間とお金と精神を費やして、本職でなければ出来ないプロフェッショナルな芸や技というものがあります。
一般の方々が趣味の世界やほんの遊び心で小手先だけで挑戦してみても、到底到達できない職人技のレベルと言うものがあると感じます。
素人目には同じでも、本職から見れば「まったく物が違う。」と言うことが多々あるものです。
この頃は安い物ばかりで、なかなかいい仕事のものには出会えませんが、世代を超えて培われてきた伝統的な技法や職人芸は、いつまでも後世に受け継がれて行くべきでしょう。
昨今は経済優先の為か、機械化が進み、バッコンバッコン可もなく不可もない製品が大量生産され職人のこだわりや義理人情などは敬遠されて邪魔者扱いされます。それでも無くしてはならない大事な人間の財産と思いますが、それが不必要なのは今の社会情勢なのかも知れませんね。
{今ではかなり貴重な小川原湖産天然ウナギ。}
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若いうちは、出すぎた芸や表向きだけを型取った技でも「良し。」とする向きもあるでしょう。
けれども物の見方の経験を積むと、あまりにも芸ばかりが前面に押し出たものを「滑稽だ。」「下品だ。」「やりすぎだ。」などと評価することもあるでしょう。やたらとブランド物を重ねて見せ付けて着こなしたり、必要以上に声を張り上げて歌ったりするものは、歳を重ねるうちにお客側とすれば好まなくなっていくものと思います。
最初の頃は一所懸命歌いすぎて「歌いすぎだよ。うるさいよ。」と評価されていた歌い手さんが、経験を積んで熟練の域に達すると、肩の力が抜け、さらっと流れるように上品に歌えるようになり「いいね~。歌ってないもの・・・。」と高評価されたり、俳優さんが不味い演技をしていたのがいつしか自然体でありのままですっと役をこなすと「いいよ。演じてないもの・・・。」などと名役者の仲間入りを果たす評価をいただけるようになるでしょう。
昭和から平成に掛けての大名人と言われた噺家の方のお話を伺っていると、「曲芸やマジックは、そういうものはその技術がう~とよくないといけないけれども、噺家は技術はある程度のところまでいったら、それを置いてと言うか忘れて、後はそれまでその間に培ってきた人物を出すのがいい・・・。」とおっしゃっておりました。
技術や芸を超えた演じるその人成りの人間性を表現することが大事なことなのだと思います。
技や芸は終わりは無く「極めきる。」と言うことはありませんが、あるところまで到達するとそこから折り返してきて「ここまでは出来ても必要ない。出来ても本質を失うならやらない。」という事があるような気がいたします。
われわれ板前の世界では、技術を前面に出した料理は見た目は良くても、派手で滑稽で食材そのものの本質を壊し、食べて美味しいという料理には成ら無いと思います。
家庭では出来ない技術を前面に押し出した煌びやかな料理を好まれる方もおられるでしょう。けれどもその様な料理は「また食べたい!」と言う心持は起きないのではないかと思います。
技よりも見た目よりも味を優先した料理を追及すると、調理は基本に忠実でシンプルで、見た目は簡素で味わいはさらっとクリアーなものになります。
長年の経験から導き出した目利きを頼りに、値段に関係なくいい食材を買い求め、作りが頑丈で優れた機能・実用性を兼ね備えた調理器具を揃える。調理は清潔さ衛生面に気を使い、確実に丁寧に、必要以上に包丁の数を増やしたりあからさまに食材の形を変えてしまうような技巧的な調理は避ける事。食材そのものの味わいを隠してしまうような調味料の使い方もせず、あくまで食材が主役で、調理技術や調味料ソースやハーブが主役と成らないようシンプルに穏やかに作られる料理が優れて美味しいものと思います。
{ビックヴィンテージとなった希少日本ワイン2012。未だ飲み頃まで数年必要でしょう。}
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料理が技巧的になったり複雑化していく要因に‘売る’ということが挙げられるのではないでしょうか?
その様な料理が生まれる背景に、食料自給率が低く、内陸部で食材に乏しく、新鮮な食材が入手しにくいということもあるでしょう。
そして、ぱっと見た瞬間に、家庭では真似が出来ない素人には出来ない技巧的な料理、煌びやかな料理が世間に溢れるのは、商品価値を上げて売る側が‘商い’を重視するという傾向もあるでしょう。
自分が二十代前半の頃、技術を競う鑑賞するだけの「展示料理」のコンクールに参加した時に、一応は何とかという上位の賞状は頂いたのですが、同行した先輩が展示が終わって後片付けのときに「せっかく寝ないで作ったのに捨ててしまうんだもんな~。」という言葉を聞いて「自分はこの様なイベントにはもう出ない事にしよう。」と決めたものです。
料理は遊びやファッション、見世物ではありません。明日の体・精神を作る源です。元来は生きる糧です。
平時で暮らしが落ち着き、精神的にも金銭的にもゆとりが出来ると料理は楽しむものとなりますが、遊ぶものではありません。
遊んだ料理は姿を消し、忘れさられ、結局残るのは王道料理です。
食材の姿形も分からず、何を食べているのか分からない技巧的な料理はアイドルと同じで世代を超えては受け継がれません。
江戸時代にベストセラーになったと言われる‘豆腐百珍’(百種類の豆腐料理)の中のほとんどは今は作られず、豆腐は奴か湯豆腐に収まります。十年位前に出てきた泡の料理なども見掛けなくなりました。
職人は技術を追求することを優先いたしますが、本当に食べて美味しい料理には必要以上の成型や技術は必要ありません。
絵画の世界でも多くの人々に愛される芸術は、技巧的な作品より画家の哲学を表現した絵が世代を超えて支持されます。その様な絵描さんの練習デッサンを見るとものすごく精巧でまるで写真のように描くことが出来るのに、出展する作品は、目が反対についていたり、一見すると子供が殴り書きをした様な奇抜な作品を生み出します。技術よりも画家の思いを表現しているのでしょう。
料理は見世物では無いし、作った瞬間から腐っていくので世代を超えて保存されることはありません。絵画のように目が反対に付いていたり、子供が殴り書きしたような料理は到底いただけませんが、技巧的より、煌びやかより、料理人の哲学より、食べて美味しいものが料理の基本の姿と感じます。
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{旧青森営林局。}

ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧ください。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧ください。
by tk-mirai | 2014-09-02 20:44 | Comments(0)

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