一品料理
~お知らせ~
当店ではお得なコース料理のほかに一品料理もご用意しております。
有名ブランド酒に引けを取らない入手困難なプレミアム地酒、当店で熟成させた香り高く新酒の様な味わい深い地酒の数々(約40種)、多くのコンクールでも幾多の賞を獲得し、世界が認めたこれまた入手困難な洗練された爽やかなプレミアムジャパニーズワイン約60種(コンクールに出品しないワイナリーもあり)とのマリアージュはいかがでしょうか?日本酒もワインも全て店主が味見をしてからリストアップしております。
世界にも類を見ないほどの多種多様な青森県産食材をふんだんに利用し、天然活締めでしか味わえないプリップリの洗練された繊細な味わいのお刺身、活締めで血抜きをしているからこそ表せるクリアーな焼き魚や煮魚。店主自ら山へ分け入り採り集める山菜の数々、青森の優れた農産物・果物・肉類などなど青森の旬なリアルな料理をゆっくりとゆったりと落ち着いた雰囲気でお楽しみ下さい。

本日のお肴 (一例:コースと同じく日替わりとなります。)
酒 菜
・津軽養鶏の卵を使って温泉卵と大畑町産バフンウニに八方出汁ゼリーを掛けて・・・・1000円
・青森市油川産4つの味が楽しめるトゲクリガニ(むき身を甲羅詰め)と
常盤村産極太アスパラガス太白胡麻油焼き・・・・1700円
お刺身 ・ 生のもの
・自家製引き上げ湯葉(北海道大豆で)と大畑町産バフンウニのねっとりコラボ・・・・1600円
・平館村産60キロ超の天然オオヨ刺し・・・・1700円
・下北産天然活締めホウボウと同じく下北産天然活水蛸の下北盛り・・・・1800円
・今別町産天然ババガレイと平舘村産天然活締め真ソイの白身盛り・・・・2000円
・噴火湾産天然活ボタンエビ踊り(3匹)・・・・1800円
・お刺身盛り・・・・・3000円
焼いたもの・炙ったもの
・今別町産天然活締めババガレイ塩焼きに三戸町産干しプルーンあっさり密煮を添えて・・・・1600円
・藤崎町産護摩鶏(シャモロックの親)の柚子胡椒焼きに
すりおろしてドレッシング仕立ての深浦雪人参を合わせて・・・・1800円
・青森市ジャパンフォアグラ産バルバリー本鴨焼きと横浜町有機栽培菜のはな芥子和え・・・・2500円
・八甲田山麓産八甲田牛モモ炙りと弘前市産そばもやしのサラダ添え・・・・2800円
揚げたもの
・むつ湾産ホタテと新玉ねぎのかき揚・・・・1500円
・自家製引き上げ湯葉と常盤村産極太アスパラガスの天麩羅盛り・・・・1700円
・津軽半島産親父が朝取りして来た天然山独活と平内町産天然鮑の天麩羅盛り・・・・2800円
珍なるもの
・今別町産干しコノコ(なまこの卵)炙りとハードチーズの名品コンテ18ヶ月熟成(おフランス)・・・・3000円
・チーズ盛り ロックフォール、コルシカ、モンブリアック、ガレ デ ロワール(おフランス)
十和田市産黒ニンニクを仲間に入れて・・・・2500円
あっさり甘味
・七戸町産‘中村さんちのこだわりリンゴジュース’のゼリー仕立て・・・・600円
・弘前市産大きめとちおとめ・七戸町産大納言小豆甘煮・
むつ市ボン・サーブ産さわやか牛乳ジュレを装ってマリアージュ・・・・1000円
単品ご注文のお客様はお通しとして前菜盛りが付きます。・・・・800円
一品料理はコース料理に比べ一皿の量は多目です。
少量しかご用意できませんので品切れはご了承くださいませ。

お得なおまかせ料理コース
本格自家製手打ちそば付き(国産そば粉津軽平野産小麦使用)
・ヒバ 8品 5800円
・カツラ 8品 7800円
・トチ 10品 10800円
・ヤナギ 10品 12800円
お値段の違いは食材・質の違いになります。
量的にはさほど変わりはありません。

{コースの〆に自家製手打ちそば。季節によりそば粉と小麦粉のブレンド比率を変えて打ち分けます。}
当店ではお得なコース料理のほかに一品料理もご用意しております。
有名ブランド酒に引けを取らない入手困難なプレミアム地酒、当店で熟成させた香り高く新酒の様な味わい深い地酒の数々(約40種)、多くのコンクールでも幾多の賞を獲得し、世界が認めたこれまた入手困難な洗練された爽やかなプレミアムジャパニーズワイン約60種(コンクールに出品しないワイナリーもあり)とのマリアージュはいかがでしょうか?日本酒もワインも全て店主が味見をしてからリストアップしております。
世界にも類を見ないほどの多種多様な青森県産食材をふんだんに利用し、天然活締めでしか味わえないプリップリの洗練された繊細な味わいのお刺身、活締めで血抜きをしているからこそ表せるクリアーな焼き魚や煮魚。店主自ら山へ分け入り採り集める山菜の数々、青森の優れた農産物・果物・肉類などなど青森の旬なリアルな料理をゆっくりとゆったりと落ち着いた雰囲気でお楽しみ下さい。

本日のお肴 (一例:コースと同じく日替わりとなります。)
酒 菜
・津軽養鶏の卵を使って温泉卵と大畑町産バフンウニに八方出汁ゼリーを掛けて・・・・1000円
・青森市油川産4つの味が楽しめるトゲクリガニ(むき身を甲羅詰め)と
常盤村産極太アスパラガス太白胡麻油焼き・・・・1700円
お刺身 ・ 生のもの
・自家製引き上げ湯葉(北海道大豆で)と大畑町産バフンウニのねっとりコラボ・・・・1600円
・平館村産60キロ超の天然オオヨ刺し・・・・1700円
・下北産天然活締めホウボウと同じく下北産天然活水蛸の下北盛り・・・・1800円
・今別町産天然ババガレイと平舘村産天然活締め真ソイの白身盛り・・・・2000円
・噴火湾産天然活ボタンエビ踊り(3匹)・・・・1800円
・お刺身盛り・・・・・3000円
焼いたもの・炙ったもの
・今別町産天然活締めババガレイ塩焼きに三戸町産干しプルーンあっさり密煮を添えて・・・・1600円
・藤崎町産護摩鶏(シャモロックの親)の柚子胡椒焼きに
すりおろしてドレッシング仕立ての深浦雪人参を合わせて・・・・1800円
・青森市ジャパンフォアグラ産バルバリー本鴨焼きと横浜町有機栽培菜のはな芥子和え・・・・2500円
・八甲田山麓産八甲田牛モモ炙りと弘前市産そばもやしのサラダ添え・・・・2800円
揚げたもの
・むつ湾産ホタテと新玉ねぎのかき揚・・・・1500円
・自家製引き上げ湯葉と常盤村産極太アスパラガスの天麩羅盛り・・・・1700円
・津軽半島産親父が朝取りして来た天然山独活と平内町産天然鮑の天麩羅盛り・・・・2800円
珍なるもの
・今別町産干しコノコ(なまこの卵)炙りとハードチーズの名品コンテ18ヶ月熟成(おフランス)・・・・3000円
・チーズ盛り ロックフォール、コルシカ、モンブリアック、ガレ デ ロワール(おフランス)
十和田市産黒ニンニクを仲間に入れて・・・・2500円
あっさり甘味
・七戸町産‘中村さんちのこだわりリンゴジュース’のゼリー仕立て・・・・600円
・弘前市産大きめとちおとめ・七戸町産大納言小豆甘煮・
むつ市ボン・サーブ産さわやか牛乳ジュレを装ってマリアージュ・・・・1000円
単品ご注文のお客様はお通しとして前菜盛りが付きます。・・・・800円
一品料理はコース料理に比べ一皿の量は多目です。
少量しかご用意できませんので品切れはご了承くださいませ。

お得なおまかせ料理コース
本格自家製手打ちそば付き(国産そば粉津軽平野産小麦使用)
・ヒバ 8品 5800円
・カツラ 8品 7800円
・トチ 10品 10800円
・ヤナギ 10品 12800円
お値段の違いは食材・質の違いになります。
量的にはさほど変わりはありません。

{コースの〆に自家製手打ちそば。季節によりそば粉と小麦粉のブレンド比率を変えて打ち分けます。}
口で食べましょう
{津軽海峡産鰆8.2k。}

小学生の頃、釣りマンガの金字塔‘釣りキチ三平’を読んでいた時のことです。
主人公の三平が隣に住むユリッペに大法螺を吹き、ユリッペが「三ちゃん、そっただでっけえ(そんなに大きい)事言ってもしも出来なかったらどうするだ!」という質問に三平は「もし出来なかったら、ケツの穴でスルメ咬んで町内一周してやるだ!」と答えていました。
今考えると「ケツの穴でスルメを咬んだら痛いだろうし、もしかしたらスルメが柔らかくなって食べやすくなるのかもしれないな~。」とも思わないでも無いでしょうか?
ケツの穴で味が分るか分らないかは挑戦したことが無いので分りかねますが、実践しようとする三平には敬意を表さなければならないでしょう。
食べ物は自分で食べなければ何も理解は出来ないし、ましてや誰かに薀蓄を語るのも危ない事かも知れません。
ライスカレーを食べたことが無い人がライスカレーについて論じても説得力には欠けてしまうことでしょう。
同じライスカレーでも食べる人により、感じ方味わい・味覚などが違うものですし、幾らライスカレーを食べ慣れた方でも、今、目の前にあるライスカレーやテレビで映るライスカレーは食べてもいないのに、それについて語ると、想像の物とはまったく違う場合もありますので控えた方がいいかもしれません。
お蕎麦・ラーメン・寿司・コーヒー・ワインなどなどはテレビは勿論、料理本・専門誌・業界紙などなどで今まで色々な形で沢山語られ教科書も沢山あり、多くの方々が認知度・認識が高く、また人気もずば抜けている為、至る所で話題の種となっていることでしょう。
それらはそのほかのジャンルと比べれば趣向品として抜群にシンプルで納得しやすく個性的で秀でた部分があり、‘~~通’や‘~~好き’と呼ばれる方々も居られ、講釈・薀蓄を語ってくれる方々が大勢いて、味よりも語りが優先する向きはあれ、その業界にとってはとても頼もしいものですし心強い応援団でしょう。
味よりも語っていることが楽しい方も多いようで、味わうものであるのに別なジャンルの話かと思えるほどの許容量の広さも備えた娯楽の一つと言えるでしょう。「同じくらい日本料理について薀蓄を語ってくれる方も沢山いたらな~。」などと自分などは羨ましくもなります。
{津軽平野のローカル線津軽鉄道。}

人によって持ってる知識や経験値などが違う為、自分の教科書に無い出来事に遭遇すると、時によっては拒絶反応をしてしまう事もあることでしょう。
自分が料理の世界に入ってよく思ったことは‘自分の物差を広げる事。自分の教科書を分厚くする事’がとても重要な事だとよく感じたものでした。
先輩方・親方々、お客様や周りの方々にアドバイスを受けても、自分自身の許容量が狭いと‘豚に真珠’‘猫に小判’‘馬耳東風’と、せっかくの学べるチャンスを不意にしてしまう事が多々あったと感じてしまうものです。
言われてからすぐ気付く事もあれば、数分後、数日後、時には数年後に「あの時のあの人が話してくれた意味はこうゆう事だったのか!」と思うことも多いものです。
多くの場合、怒ってくれる方や注意してくれる方、意見や忠告をしてくれる方は、悪意や敵意があるわけではなく、相手を見込んで良きアドバイスを投げかけているわけですが、聞いている方が自分を否定されていると感じたり面白くない事を言われたりすると、なかなか素直に「はい。そうですか。」とは出来ないのが人情でしょうか?
先にも示した通と言われる方、もしくは~~通を自称している方も含め、料理人などにも勤勉な方がいて、その方々は一般と比べればよくよく勉強されているし、経験もお金も積んでいる事でしょう。
ですから、そういう方ほど凝り固まった考えが優先し、自分に自負があり、自分で積んだ経験や教科書で身に付けた知識とは掛け離れた事を言われると拒否反応を示してしまい、もったいない事をしているんじゃないかな?と感じる事もあります。
「え~、何々、自分知らない。教えて。教えて。それどういう事、もっと詳しくみっちりと教えて下さい・・・。」と言えれば簡単なんですが、今更人に聞けないというプライドもあるようで、物差を広げる事は自分自身の革新なのだと思います。
世の中教科書で語られないことも数多く、また、教科書通りに物事が進む事など皆無に等しく、教科書通りに行動したら大失敗した事などは自分は多々あるものです。
どちらかと言うと現実は教科書に無いことが多く、実践していって身に付けた知識の方が信憑性は多いかも知れません。
あくまで教科書は予備知識と捉え、答えは常に変化し自分の物差以上のことが起こる事も想定している方が精神的にも楽でしょう。
自分の教科書以上の事が現れたほうが面白いし、いい勉強になるのですが、なかなかその瞬間は対処に苦しむ事も多いもので、素直に耳を傾けるのも難しい事かもしれません。
{津軽海峡産天然活締め河豚刺し。}

自分のような小心者は自分の物差以上の話や自分の答えと対照的なお話をしてくれる方に出会うと今では「ラッキー!」と思えるのですが、若かれし頃は、自分の意見にそぐわないものには反論したり、見ザル・言わザル・聞かザルとすることも多いものでした。
特に食べ物に関して言えば、答えが相対する事などちょくちょくある事ですので、美味しさの答えは自分の考えより相手に任せた方が「適切だ。」と30歳を過ぎてからは思うようになりました。
料理は美味しいに越した事は無いし、料理が美味しいとなお一層会話も楽しくなりますから料理の占める割合は重要なものでしょう。
時には薀蓄が優先して実際食べてみたら否なる物ということも経験する事もあるでしょう。そんなときは口で食べるより頭で講釈を並べて食べている方が幸せなのかもしれません。
それでも、食べもしないで論じる事はもしかしたら自分の世間知らずを露見する事にも成りかねます。特にワインは、「評判通りの味わいでは無い。」ことに出会う機会が多いので、自分はお店で勧める時には品質が安定したもの、自分で何度も味を確かめたものしかメニューに載せませんし、薀蓄を語らないようにしています。
時には講釈も面白いですが、飲食に関しては味が何よりも第一優先なのだと思います。
ですから、世代を超えて受け継がれて来た普遍的な料理や飲み物は、見た目も調理法も味わいもいたってシンプルです。
ワインもコーヒーもお蕎麦もお寿司も原型は随分古くから完成されたものだと思います。
今でも変わらない姿を多くの人に見せ、これから先も何世代にも渡って食べ続けられ、語り続けられることでしょう。知識も薀蓄も講釈もますますエスカレートしていく事でしょうし、一層認知度も上がる事でしょう。
何だかんだと知識・語録を並べても食べてみなければ、料理や飲み物は価値はありません。
ケツの穴で食べても多分味は分らないですし、耳穴や鼻穴でも食べれません。目では色彩や美しさを判断出来ますが味は語れません。鼻は香りを判断出来ても味わいまでは分りません。口に入れる前に頭で判断して食べてしまっても別物かもしれません。最終的には口で食べるしか飲酒は判断できないのですから、まずは味わって、それから講釈・薀蓄・会話を楽しむのがお勧めですね。

{津軽平野ベンセ湿原。咲き乱れるニッコウキスゲ。}
ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧下さい。

小学生の頃、釣りマンガの金字塔‘釣りキチ三平’を読んでいた時のことです。
主人公の三平が隣に住むユリッペに大法螺を吹き、ユリッペが「三ちゃん、そっただでっけえ(そんなに大きい)事言ってもしも出来なかったらどうするだ!」という質問に三平は「もし出来なかったら、ケツの穴でスルメ咬んで町内一周してやるだ!」と答えていました。
今考えると「ケツの穴でスルメを咬んだら痛いだろうし、もしかしたらスルメが柔らかくなって食べやすくなるのかもしれないな~。」とも思わないでも無いでしょうか?
ケツの穴で味が分るか分らないかは挑戦したことが無いので分りかねますが、実践しようとする三平には敬意を表さなければならないでしょう。
食べ物は自分で食べなければ何も理解は出来ないし、ましてや誰かに薀蓄を語るのも危ない事かも知れません。
ライスカレーを食べたことが無い人がライスカレーについて論じても説得力には欠けてしまうことでしょう。
同じライスカレーでも食べる人により、感じ方味わい・味覚などが違うものですし、幾らライスカレーを食べ慣れた方でも、今、目の前にあるライスカレーやテレビで映るライスカレーは食べてもいないのに、それについて語ると、想像の物とはまったく違う場合もありますので控えた方がいいかもしれません。
お蕎麦・ラーメン・寿司・コーヒー・ワインなどなどはテレビは勿論、料理本・専門誌・業界紙などなどで今まで色々な形で沢山語られ教科書も沢山あり、多くの方々が認知度・認識が高く、また人気もずば抜けている為、至る所で話題の種となっていることでしょう。
それらはそのほかのジャンルと比べれば趣向品として抜群にシンプルで納得しやすく個性的で秀でた部分があり、‘~~通’や‘~~好き’と呼ばれる方々も居られ、講釈・薀蓄を語ってくれる方々が大勢いて、味よりも語りが優先する向きはあれ、その業界にとってはとても頼もしいものですし心強い応援団でしょう。
味よりも語っていることが楽しい方も多いようで、味わうものであるのに別なジャンルの話かと思えるほどの許容量の広さも備えた娯楽の一つと言えるでしょう。「同じくらい日本料理について薀蓄を語ってくれる方も沢山いたらな~。」などと自分などは羨ましくもなります。
{津軽平野のローカル線津軽鉄道。}

人によって持ってる知識や経験値などが違う為、自分の教科書に無い出来事に遭遇すると、時によっては拒絶反応をしてしまう事もあることでしょう。
自分が料理の世界に入ってよく思ったことは‘自分の物差を広げる事。自分の教科書を分厚くする事’がとても重要な事だとよく感じたものでした。
先輩方・親方々、お客様や周りの方々にアドバイスを受けても、自分自身の許容量が狭いと‘豚に真珠’‘猫に小判’‘馬耳東風’と、せっかくの学べるチャンスを不意にしてしまう事が多々あったと感じてしまうものです。
言われてからすぐ気付く事もあれば、数分後、数日後、時には数年後に「あの時のあの人が話してくれた意味はこうゆう事だったのか!」と思うことも多いものです。
多くの場合、怒ってくれる方や注意してくれる方、意見や忠告をしてくれる方は、悪意や敵意があるわけではなく、相手を見込んで良きアドバイスを投げかけているわけですが、聞いている方が自分を否定されていると感じたり面白くない事を言われたりすると、なかなか素直に「はい。そうですか。」とは出来ないのが人情でしょうか?
先にも示した通と言われる方、もしくは~~通を自称している方も含め、料理人などにも勤勉な方がいて、その方々は一般と比べればよくよく勉強されているし、経験もお金も積んでいる事でしょう。
ですから、そういう方ほど凝り固まった考えが優先し、自分に自負があり、自分で積んだ経験や教科書で身に付けた知識とは掛け離れた事を言われると拒否反応を示してしまい、もったいない事をしているんじゃないかな?と感じる事もあります。
「え~、何々、自分知らない。教えて。教えて。それどういう事、もっと詳しくみっちりと教えて下さい・・・。」と言えれば簡単なんですが、今更人に聞けないというプライドもあるようで、物差を広げる事は自分自身の革新なのだと思います。
世の中教科書で語られないことも数多く、また、教科書通りに物事が進む事など皆無に等しく、教科書通りに行動したら大失敗した事などは自分は多々あるものです。
どちらかと言うと現実は教科書に無いことが多く、実践していって身に付けた知識の方が信憑性は多いかも知れません。
あくまで教科書は予備知識と捉え、答えは常に変化し自分の物差以上のことが起こる事も想定している方が精神的にも楽でしょう。
自分の教科書以上の事が現れたほうが面白いし、いい勉強になるのですが、なかなかその瞬間は対処に苦しむ事も多いもので、素直に耳を傾けるのも難しい事かもしれません。
{津軽海峡産天然活締め河豚刺し。}

自分のような小心者は自分の物差以上の話や自分の答えと対照的なお話をしてくれる方に出会うと今では「ラッキー!」と思えるのですが、若かれし頃は、自分の意見にそぐわないものには反論したり、見ザル・言わザル・聞かザルとすることも多いものでした。
特に食べ物に関して言えば、答えが相対する事などちょくちょくある事ですので、美味しさの答えは自分の考えより相手に任せた方が「適切だ。」と30歳を過ぎてからは思うようになりました。
料理は美味しいに越した事は無いし、料理が美味しいとなお一層会話も楽しくなりますから料理の占める割合は重要なものでしょう。
時には薀蓄が優先して実際食べてみたら否なる物ということも経験する事もあるでしょう。そんなときは口で食べるより頭で講釈を並べて食べている方が幸せなのかもしれません。
それでも、食べもしないで論じる事はもしかしたら自分の世間知らずを露見する事にも成りかねます。特にワインは、「評判通りの味わいでは無い。」ことに出会う機会が多いので、自分はお店で勧める時には品質が安定したもの、自分で何度も味を確かめたものしかメニューに載せませんし、薀蓄を語らないようにしています。
時には講釈も面白いですが、飲食に関しては味が何よりも第一優先なのだと思います。
ですから、世代を超えて受け継がれて来た普遍的な料理や飲み物は、見た目も調理法も味わいもいたってシンプルです。
ワインもコーヒーもお蕎麦もお寿司も原型は随分古くから完成されたものだと思います。
今でも変わらない姿を多くの人に見せ、これから先も何世代にも渡って食べ続けられ、語り続けられることでしょう。知識も薀蓄も講釈もますますエスカレートしていく事でしょうし、一層認知度も上がる事でしょう。
何だかんだと知識・語録を並べても食べてみなければ、料理や飲み物は価値はありません。
ケツの穴で食べても多分味は分らないですし、耳穴や鼻穴でも食べれません。目では色彩や美しさを判断出来ますが味は語れません。鼻は香りを判断出来ても味わいまでは分りません。口に入れる前に頭で判断して食べてしまっても別物かもしれません。最終的には口で食べるしか飲酒は判断できないのですから、まずは味わって、それから講釈・薀蓄・会話を楽しむのがお勧めですね。

{津軽平野ベンセ湿原。咲き乱れるニッコウキスゲ。}
ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
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都会料理と田舎料理
~営業のお知らせ~
ゴールデンウィーク期間は休まず営業いたします。
よろしくお願い致します。
翌週7~8日お休みいただきます。
{春の日を浴びる天馬林村中野の銀杏}

食べる事が好きで「将来は独立してお店を開こう。」と13の時に考え、社会人になって料理の世界に入るまでは、自分が家庭で食べてきたものや郷土料理などを「じゃいご(田舎)臭い!」と正直蔑んでいた時期がありました。
「我が家の家庭料理なんて、別にどこでも食べれるだろうし、食べ物屋さんのほうが家の料理よりも必ず美味しいに決まっている!」と世間知らずな若気の至りからか、何か勘違いしていた様でした。
ところがいざ料理屋へ働きに出て、何軒ものお店を回るたびに「見た目や技術はすごいけど、家で食っている方が美味しいな~。」と思うことが度々ありました。勿論料理屋では家庭料理を圧倒する料理にも出会い、それはとても家庭で真似出来るようなものではない美味しさも実感できましたし、料理屋の凄みも知る事が出来ました。
料理書の専門誌などでも綺麗な写真と事細かく解説されたレシピや造り手の料理感などを見ていると「これは絶対に美味しい!」と思い込み「食べに行ってみよう!」と少ない予算で食べ歩きを始めたのも、まだまだ家庭料理や郷土料理を軽視していた頃からでした。
何でも実体験しなければ気がすまない性格なのか、料理専門誌やガイドブックで気になるお店はお邪魔したものでした。その多くはやはり広告力がある東京で、「東京の料理は青森より美味しい!」とも考えていたものです。
初めのころは福利厚生面もまったくなく、手取りで11万ほどの給料。その中から年金・国保・市民税・家賃・車のローン・車の維持費などを支払うと何もなくなってしまいます。それから最初の頃はその残ったお給金で何万円もする包丁も揃えなければいけませんでした。
ラッキーだった事と言えば労働時間が長時間で(一日平均16~18時間・徹夜もあり)お金を使う時間が無い事とご飯がお店で食べれた事が良かったようです。
休みもあるのやら無いのやら「明日お前休み。」と急に言われる店も有れば、月二回の定休日だけの店、日曜祭日がしっかり休みのお店などそのお店お店によって休みはまちまちでしたが、何軒もお店を回っているとお店と店を移る間に何日か休みがあるのでそれを利用したり、祭日が休業のお店のときはそれを利用して東京に食べ歩いたものです。
それでも予算が無いので、そこは銀行さんにお願いしていくらか工面してもらい、何ヶ月かかけてお返しする予定を立てて出歩いたものです。
期待を胸に膨らませ、「いざ東京。」と飲食店を食べ歩いた当初は、世間知らずで青森の感覚で、予算で食べるというお馬鹿さんなことをしてしまい、7000円ぐらいのコースのお店にお邪魔しました。
青森で7000円と言えば今でも20年前でも一般的には高額な料理になります。その意識でお邪魔してしまいました。
お邪魔してみるとお店の雰囲気はなかなかおしゃれな感じ、接客もいい感じ、お運びのお姉さんの笑顔も素敵でした。ところが出てくる料理の数々が「えっ!」「えっ!」「えっ!」の連続でありました。
何かよく分らないような業務用既製食品を切っただけの数種類盛り合わせの前菜なのか?お通しなのか?
「お造りです。」とにこやかにお姉さんに説明つきで出された刺身はというと、養殖のカンパチ2切れ、冷凍の縞エビ2本、冷凍のバチマグロ2切れ(養殖・冷凍とは説明はしてません。自分の判断ですが)。そしてそれが一緒盛(2人分)との事。
またまた笑顔で「本日のメインです。」と進められたのが、鉄板焼らしく大皿に2人分盛られたレタス半分とそれに斜め45度で気をつけしているような冷凍の薄い豚肉に彩りのパプリカに人参。それを「ポン酢かゴマドレッシングでお召し上がり下さい。」との事。
その当時その場で何が起こったのか自分では理解が出来ませんでした。頭の中が困惑し「こ、こ、これで7000円?????」・・・・・。
一番先の北海道の料亭で働いて献立を見たときは五千円・七千円・一万円・一万二千円と数字が並んでいた事に「料理に五千円も出す人がこの世にいるの?」と驚愕したものでした。
働き出して回数を重ねるうちそれが当たり前になり、それ以下では無理だとも理解でき今では最低でも地方なら五千円。都市部なら一万五千円からそれ以上でなければ美味しい食事は出来ないし、料理屋が経営が成り立たない事も分り、それ以下の金額で食べるのは控えるようになりました。
ですから、青森や北海道で五千円から一万円以上の料理を造り続けてきて、期待を胸に借金もして少ない休みを利用して時間もかけて青森から出てきた自分の前に「メインです。」と冷凍の豚肉が出てきた時はショックと言うか、唖然として時を止められてしまいました。
「これって、青森なら2500円~2800円くらいの料理だろう!!!お昼ならそれ以下の金額で食べれる。」とその時は天が砕けて落っこちてきた気分でお店を後にしました。
{津軽海峡天然活締め桜マス。サーモンと言われる物とは別格。朝締めで血抜きをしている為身はプリプリ。まったく血が滲んでこない。}

それからも懲りずに、働きながら寝る間を割いて料理屋さんの本を読み「この人は期待を裏切らない!職人の心を理解している!」と借金してその料理本のお店に食べに行くと「・・・・・・・・・・・・・・???。」
コースの水菓子作りを任せられていた時期があり、料理本で見るその水羊羹の美味しそうな写真に恋焦がれ、自分自身もそのレシピ通りに水羊羹を何度も作り予習して、「本家は自分の作る羊羹よりもうまいだろう!」とわくわくしながらそのお店に水羊羹だけを目的に一万五千円のフルコースを食べに行った事もありましたが「??・・・・・・・・・?。」
それから幾度となくその様な思いをして分った事は、青森・北海道などの食糧自給率の高いところと、食糧を他の土地に依存しているところでは普段の食生活のレベルが違いすぎるという事でしょうか?所得格差や土地代も関係するでしょう。
生産地は食材も手軽に程ほどの価格で鮮度のよいものが頻繁に入り(輸入物は別)、都市部はお客様の口に入るまでに人や商社や商店などなど、間にいくつもの卸しが加わりお値段は上がり鮮度は落ちるという仕組みになっているものです。
青森など自然環境が豊富な地域では、ご近所さんが野菜を作っていたり、漁師もしくは魚釣りをしていたりして、おすそ分けもちょくちょくあることです。
今ではその辺の塩梅が少しは理解できる様になりましたので、都市部へ食事を楽しみにお邪魔する感覚も変わってきました。
都会でも地方でも美味しいものは必ずあります。けれども「和食は和食」と同じジャンルで都会の和食と地方の和食を比べて計らない事。好みでなかったら別なジャンルの美味しさを探す事。料理だけじゃない部分をもっと観察する感覚をつける事。都会の「美味しい。」と地方の「美味しい」は感覚や美味しさのレベルが違う事。土地によって美味しさに格差がある事と都会人と地方人では好みが分かれる事。生まれ育って食べてきた食べ慣れた美味しさも多少は関係するかもしれません。日本海側と太平洋側では食文化が好対照な事。内陸部と沿岸部では魚介類に対する感覚が違う事。食糧自給率が低いところは粉物が多く、ケーキ類は優れている事。金銭感覚では飲食店に限って言えば、一般的なラーメンやお蕎麦、チェーン店などは都会でも地方でも価格に格差が有りませんが、料理屋やレストランなど料理やそのほかの要素が格上になると都会と地方では2~4倍の値段の格差がある事などなどを感覚的に憶えて食事を楽しむ方が利口だと感じます。
{津軽半島のシラネアオイ。花言葉は‘完全な美’}

そうこうしているうちに、幼少から自分が食べてきた家庭料理や田舎料理・郷土料理がとても優れたものだと気付き始め、飲食店では出会うことが出来ない素材や食材の組み合わせ、その料理の歴史や文化に根ざした奥深さ、市場や料理本に出回ることの無い食材や家庭の食などなど「こっちの方が美味しいし面白いな~。」と思い始め、料理屋さんやレストランでは味わえない感動や凄みを理解出来るようになりました。
青森を出て食べ歩いて青森と他を比べて感じる事があります。まず、築地や黒門市場、九州の市場などをお邪魔して「これは違うな~。」と思ったのは、魚屋さんが扱いが違う事。築地・黒門・九州の魚屋さん方は魚を丁重に大事に大切な商品だといたわって扱っている事。お客さんに対しても建前的に物腰も低い。青森の魚屋さんは魚の扱いが、この辺では普通のことなのだけど他と比べれば乱暴。お客さんととても友好といっていいか、一般のお客さんから見ればどっちがお客さん?という接客(それもこの辺では普通の事)。青森では魚介類の量も種類も多いので魚の扱いはレベルが低く、お金は無くとも食べるのに困らず競争原理も働かないので客あしらいもそうなるのでしょう。
青森では雑魚扱いされ値段が付かない魚(木箱一箱数百円)も都市部に売りにいけば「高値が付く。」と売りにいっている方も青森ではいらっしゃいます。
自分が選んで青森県外の飲食店の方や料理が趣味のお客様に食材を送ったりすると「こんないい魚は手に入らないです。」とよく言われ、時には「身は刺身にして、頭は酒蒸しして、骨は煎餅にして・・・・。」と言われ「青森では面倒でその位の魚なら頭も骨も料理しないし、捨ててしまうでしょうね~。」というと「青森は沢山有るからですよ。こちらは無いからそういうところも料理します。」と言われたりする事もあります。
スタッフを東京や大阪の料理屋さんに連れて行ったときなども、「いいかい、料理よりも違うところを見なさい。違うところを勉強して仕事に生かしてちょうだい。」と言っても、料理を期待しているらしく、食べてる最中は隣で自分が二十代前半にそうだった様に、眉間に皺寄せながらムスムスと食べていて、食後店を出てから「何で鯛の骨が出てくるの?(コースの中ほどで焼いた鯛の骨だけが出て来たので)あれは青森では犬猫が食べるもの(人はど真ん中ばかり食べるので)美味しいのは分るけどお金出してお店で食べるものじゃない!」とか、いきなり最後の最後のデザートを見て笑顔になったかと思うと、食べ物じゃなくガラスの器が「すばらしい!」と今の今まで料理を一つも褒めてないのに騒ぎ出したり。またとあるところでは疑問・自問自答しながらコースを食べていて、最後の食事の天丼の天麩羅の下のご飯を指差して「これ、美味しい。どこの米か聞いて・・・。」と自分を攻め立て、「今の今まで眉間に皺寄せながら食べてて、料理のこと聞かないで米の事だけ聞くの?お店の板前さん達は食べてる姿見てるんだよ。」と言っても自分を追い詰めたり、またまたとあるところではいつものように頭をかしげながら食べていて目の前の板前さんが手にしている鉛筆ほどの緑色の食材を目にしたところ「あっ。やった。知ってる食材だ。(あれなら期待できる)ミズ(山菜)じゃないの?ミズ?聞いて見て?」とまた自分に肘打ちすると板前さんがにっこり笑って「蕗です。」と説明してくれると自分が「メインです。」と豚肉を出された時と同じくスタッフは時が止まったらしく「そんな細い蕗青森では誰も食べない!(山蕗の時期には大人の親指より太いシャキシャキと瑞々しい香り高い蕗を食べているから)」と感じながら出された鯛の御頭と一緒に煮付けた蕗を食べてみると、ボクボクと歯ざわりが悪く蕗の味も香りも無い。隣では説明してくれた板前さんに悪かったらしく下を向いてしまったりなど、後から「何であれで何万円もするの?」と度々聞かれましたが、それが青森の一般的な感覚なんでしょう。
{陸奥湾特産トゲクリガニ。身・ミソ・卵・産卵時期だけ見られる甲羅に張り付いた脂肪と四つの味を楽しめる蟹界の横綱。}

お店で聞いていると青森のお客様からも随分ひどい話を度々伺います。
「むつ市(津軽海峡に程近いところ)に住んでいた頃、鮑をよく貰うんだけど、貰いすぎて食べ飽きて、鮑の出汁だけ取って汁物にして身は捨てちゃった。」下北の人ならやりそうなお話です。
「家では鮑のカレー。だって肉が買えないんだもん。(漁師だから鮑はタダ)それが一番安上がりで手っ取り早いでしょ。」沿岸部の方々からはよく活烏賊や鮑を入れた魚介カレーの話は耳にします。それが一番安いからでしょう。
「下北の漁師の家に冬行けば、軒下に生のまま水蛸(大人の腕ほどもある)干しといて、それが凍ったところ(パーシャル状になっている)を輪切りにしてストーブ(達磨ストーブ)の上に乗っけで焼いて酒のつまみにする。」青森では冬の水蛸は何十キロにもなり一本の足が大人の腕ほどある蛸が水揚げされることが度々あります。この手の話もよく男性方から聞きます。
「冬の水蛸ありますよね。(これも大人の腕ほどの水蛸)軒に干しているの。あれを2~3cm位に厚切りにして、フライパンでオリーブオイルで焼いて塩コショウしてフォークとナイフで蛸ステーキにして食べるんですよ。」下北の女性から新たな水蛸の食べ方も聞けました。イメージとしてはハンバーガーくらいの直径の蛸の輪切りです。そのステーキって美味しいだろうし、冷えた白ワインが欲しいな~。
「実家が漁師なんですが、トゲクリガ二(陸奥湾特産のカニ類で一番美味しい蟹)のソフトシェルクラブ(脱皮したてで殻も身も柔らかい蟹)がたまに数ある中には獲れるんですよ。それをそのまま殻ごと唐揚げにして食べると美味しいですよ。」津軽半島の陸奥湾側の方から聞いたお話ですが、トゲクリガニのソフトシェルなんて聞いたことも見たことも自分は無いですが、美味しいと確信出来ます。市場にそんなの売ってません。
「家の塩ウニは明礬も使って無いし、紅白の無添加塩ウニなんですよ。」と太平洋側のお客様からお土産でいただくと、ムラサキウニとバフンウニが綺麗にマーブル状に牛乳瓶に入っていて、食べてみると塩ウニと言うより生に近い。柔らかく甘く、濃厚で繊細で美味しい。一般的な塩ウニの苦味やえぐ味がまったく無いし、紅白の塩ウニなんて見たこともなかったです。
「烏賊って、鳴ぐんだよ。ギイー、ギイーって。東京で寿司食った時、びっくりしたじゃ。烏賊白いんだもん。今まで活きだ烏賊しか食べたことねぇ~(無い)から・・・。家にいれば生ぎだの売りに来るんだもん。叩げばギイーギイーって黒光りした烏賊ばさ・・・。」津軽半島の漁村のかたのお話ですが、青森では大抵烏賊は半透明なもの。活きた状態のものは内臓が見える透明。その烏賊を触ると威嚇して墨を吐いたり、半透明から黒や赤や発色したような色に様々変化します。漁村の方々はそれを朝から刺身にしたり、焼いたり煮たり、包丁で叩いてミンチにして揚げたりします。決して鮮度が落ちたから焼くとか揚げるということは無く、毎日売りに来る漁師がいるので必要な分だけしか買わず、活きた烏賊を色々料理するものです。
自分自身も漁師宅や農家宅(半農半漁もあり)に伺う機会がありますが、その食生活は都会の方々から見れば贅沢なものでしょう。
何皿もの大皿が所狭しと並べられ、一皿にカレイの塩焼きや煮つけがドンドンドンと何枚も重ねられ、透明な烏賊刺しも丼に山盛り、天然平目や天然鯛の刺身も一緒盛でドンと盛られ、ホタテのフライは「落ちるんでないの。」という量、切っただけのたっぷりのトマトと胡瓜と身欠き鰊に味噌とマヨネーズが添えられ、蕗やワラビなどの山菜と魚介類をあわせたたっぷりの煮しめ、季節の漬物数種類などなど平均十皿は出されるでしょうか?それを各々自分で取り分けて食べるので、小皿料理はありません。それが農家・漁業家では普通の事です。その様な育ちの方々はお腹一杯で食べなくても、食事の席やお酒の席には数々の料理が載った皿が並んでなければ機嫌が悪いものです。テーブル一杯料理が並んでなければ気がすまないものです。冷蔵庫に沢山食材が詰まっていなければ不安でしょうがないものです。
{津軽海峡天然水蛸。30㎏アップ。}

ある農家に行ったときなど無農薬のブルーベリーが採り放題で、大人の親指の爪よりも大きい甘い採れたてのブルーベリーを丼一杯スプーンで掬いながら食べれて、毎年それを楽しみにしながらお邪魔します。でなければその農家の家人は食べないので小鳥の餌になるか、採っても畑の隅のごみ置き場に捨てられてしまいます。売れば何万円にもなるものを・・・。
そのブルーベリーのお宅で驚いたのは生の花豆を塩煮してあって、それを口にしたときの感動は忘れる事は出来ないでしょう。普通花豆は乾燥したものが売ってあります。我々板前は、それを一日水を吸わせ、何度か灰汁抜きし、コトコトゆっくり気長に甘く煮付けます。花豆の美味しさに感化され、自分でも挑戦しようと、自分の家に植えたことがありますが、平均気温が低くないと成りが悪い事と、4月後半に植えても11月後半でなければ収穫できず、胡瓜やトマトの蔓に花豆の蔓が絡まり、畑を占領している期間も長く効率性が悪く「とても片手までは出来る代物では無い。」と断念したものでもありました。その花豆を乾燥させず生の採れたての柔らかいものをそこの農家のおばあちゃんが、ちょっと砂糖を効かせて塩煮してあり、食べてみるとまったく皮を感じず、身と皮が渾然一体となりサワサワサワ~と口に溶けていくのです。粒アンを食べると小豆の皮が歯に当る感触が有りますがそういうものが、まったくなく、皮付きの豆を食べているのに漉し餡を食べているかのような感覚に囚われました。「すっ、すっ、すごい!この花豆!」とその美味しさと歯ざわりに声が出てしまいました。こんなもの豆好きの自分でさえ出合った事が無い。肉も魚も生ものも飽きて乾物に興味が行き、豆で色々遊んでいても生の花豆なんて見たこともありませんでした。自分が驚いているその脇で一歳にもならない歯も大して無い赤ちゃんがむしゃむしゃとその花豆を頬張っている姿を見て、作り手のおばあちゃんにひれ伏してしまいました。「脱帽し、ひざまずいて、ひれ伏して飲むべし。」とやらワインのお話でありましたが、その境地が分るような気がいたしました。
{藤崎産ホワイトアスパラと三沢産ホッキ貝のバター醤油炒め。}

自分が耳にしたり、農家魚業家で体験する事は、お金を出しても体験出来ない事ばかりです。勿論市場にその様な食材は登場する事も飲食店で食べる事も出来ません。
「売ってください。」と頼んでも食べる事は出来ないでしょう。その多くは自家用消費で売り物ではないからです。食べたかったらそこに何度もお邪魔して、昼下がりに一緒に漬物をお茶請けにしながらおしゃべりしたり、夜は一緒にお酒を飲むしかないのでしょう。そして、その多くの農家漁業家は外食するという習慣が一切なく、三食自宅。冠婚葬祭ぐらいでしか外で食べる事はほとんどなく、自分たちの食生活を‘普通’と思っています。何一つ自分たちが贅沢な食事をしているとは思っていません。テレビの芸能人が「美味しい!美味しい!」と連呼している世界観の方が贅沢と思っているでしょう。
飲食店では思いつかないような調理法や食材の組み合わせも目にする事が出来ます。料理人は頭が固まってしまって、なかなか新しいアイディアは生み出せません。「この食材とこの食材を組み合わせれば相性がいい。」と親方々から教えられるし、料理本にもそう示されてしまっているからです。筍とワカメ、鯛と蕪、鴨と葱、棒だらと里芋などなどそれはそれでそれ以上の組み合わせは無いし、その美味しさなら多くのお客様の支持も受けられます。それだけに幅が狭いかもしれません。
田舎料理や郷土料理にはまだまだ自分を楽しませてくれることも多そうです。
それからもう一つ、青森と都会の食生活の違いで気付く事は、定食屋さんにお邪魔した時など東京では、例えばトンカツ屋さんなどは、お皿の上はキャベツとカツだけ。それにご飯と味噌汁。付いても漬物少しだけ。青森ではこれは考えられないことでしょう。
~~定食。青森ではメインは勿論、それにポテトサラダにレタス少々トマト一切れ、その時の都合で和え物や炒めのなどの小鉢が一品か二品に漬物、たっぷりのご飯(東京の2~3倍)に味噌汁が付きます。
ひどい時などある町で野菜炒め定食を頼んだら、たっぷりの野菜炒めにたっぷりのご飯に味噌汁、その他小鉢一つにツブの煮付け二つと剥きたての活のホタテ刺しが付いて出てきたことがありました。「これって本当に野菜炒め定食?」と疑いたくなります。それで750円です。青森ではこういう事が多々あります。青森市内より市外に出て町や村で食事をするとそれに出会う確率が上がります。東京ではありえないことでしょう。
お蕎麦屋さんでも東京では狭苦しい中相席で(青森の人は相席はしません。待つ文化はありません。空いてなければ別な店に行きます。一人で四人掛けテーブルも座るし許されます。)お蕎麦を啜ったり、昼のお酒のつまみに‘いもかけ’や‘板わさ’を頼んだりする姿を拝見します。最初は「何のことだろう?」と不思議に思っていましたが、隣近所の席のおじ様方が「おばちゃん、いもわさとお酒。」「お酒と板わさ。」と次々注文してくれたので、「何が出てくるのだろうな~?」と楽しみにしていたら、小鉢にちょこっと大和芋かイチョウ芋を摺ったのにすり山葵だけ。それに醤油掛けて。と、小さな板に一cm位の蒲鉾二切れとすり山葵。どちらもその界隈のお蕎麦屋さんでは600~700円。「えええ~~。青森では百円しないだろうな~~~。」という世界観も楽しませていただきました。
この頃は青森も都市化してきたのか、「気持ちさみしいな~。」という定食も見かけたり、コース料理のお皿の上は肉だけ、魚だけ。付け合せはなし。という料理も見かけるようになりました。「シンプルでいいんだけど、東京料理だな~。最近の料理本見過ぎかな~?青森でもこの料理で大丈夫かな~?」と感じる事も増えましたが、それでもまだまだ青森のご年配の方々農家漁業家は贅沢なものでしょう。
平均的に青森の方々は贅沢な食生活・豊かな自然環境・多様な温泉やのんびりした環境に恵まれているものです。
それだけに競争原理が働かず「もったいない~。高く売れるだろうな~。」と度々思いますがそこがまた青森のいいところですね。

{今年は少し遅れるかもしれません。横浜町菜の花畑。}
ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧下さい。
ゴールデンウィーク期間は休まず営業いたします。
よろしくお願い致します。
翌週7~8日お休みいただきます。
{春の日を浴びる天馬林村中野の銀杏}

食べる事が好きで「将来は独立してお店を開こう。」と13の時に考え、社会人になって料理の世界に入るまでは、自分が家庭で食べてきたものや郷土料理などを「じゃいご(田舎)臭い!」と正直蔑んでいた時期がありました。
「我が家の家庭料理なんて、別にどこでも食べれるだろうし、食べ物屋さんのほうが家の料理よりも必ず美味しいに決まっている!」と世間知らずな若気の至りからか、何か勘違いしていた様でした。
ところがいざ料理屋へ働きに出て、何軒ものお店を回るたびに「見た目や技術はすごいけど、家で食っている方が美味しいな~。」と思うことが度々ありました。勿論料理屋では家庭料理を圧倒する料理にも出会い、それはとても家庭で真似出来るようなものではない美味しさも実感できましたし、料理屋の凄みも知る事が出来ました。
料理書の専門誌などでも綺麗な写真と事細かく解説されたレシピや造り手の料理感などを見ていると「これは絶対に美味しい!」と思い込み「食べに行ってみよう!」と少ない予算で食べ歩きを始めたのも、まだまだ家庭料理や郷土料理を軽視していた頃からでした。
何でも実体験しなければ気がすまない性格なのか、料理専門誌やガイドブックで気になるお店はお邪魔したものでした。その多くはやはり広告力がある東京で、「東京の料理は青森より美味しい!」とも考えていたものです。
初めのころは福利厚生面もまったくなく、手取りで11万ほどの給料。その中から年金・国保・市民税・家賃・車のローン・車の維持費などを支払うと何もなくなってしまいます。それから最初の頃はその残ったお給金で何万円もする包丁も揃えなければいけませんでした。
ラッキーだった事と言えば労働時間が長時間で(一日平均16~18時間・徹夜もあり)お金を使う時間が無い事とご飯がお店で食べれた事が良かったようです。
休みもあるのやら無いのやら「明日お前休み。」と急に言われる店も有れば、月二回の定休日だけの店、日曜祭日がしっかり休みのお店などそのお店お店によって休みはまちまちでしたが、何軒もお店を回っているとお店と店を移る間に何日か休みがあるのでそれを利用したり、祭日が休業のお店のときはそれを利用して東京に食べ歩いたものです。
それでも予算が無いので、そこは銀行さんにお願いしていくらか工面してもらい、何ヶ月かかけてお返しする予定を立てて出歩いたものです。
期待を胸に膨らませ、「いざ東京。」と飲食店を食べ歩いた当初は、世間知らずで青森の感覚で、予算で食べるというお馬鹿さんなことをしてしまい、7000円ぐらいのコースのお店にお邪魔しました。
青森で7000円と言えば今でも20年前でも一般的には高額な料理になります。その意識でお邪魔してしまいました。
お邪魔してみるとお店の雰囲気はなかなかおしゃれな感じ、接客もいい感じ、お運びのお姉さんの笑顔も素敵でした。ところが出てくる料理の数々が「えっ!」「えっ!」「えっ!」の連続でありました。
何かよく分らないような業務用既製食品を切っただけの数種類盛り合わせの前菜なのか?お通しなのか?
「お造りです。」とにこやかにお姉さんに説明つきで出された刺身はというと、養殖のカンパチ2切れ、冷凍の縞エビ2本、冷凍のバチマグロ2切れ(養殖・冷凍とは説明はしてません。自分の判断ですが)。そしてそれが一緒盛(2人分)との事。
またまた笑顔で「本日のメインです。」と進められたのが、鉄板焼らしく大皿に2人分盛られたレタス半分とそれに斜め45度で気をつけしているような冷凍の薄い豚肉に彩りのパプリカに人参。それを「ポン酢かゴマドレッシングでお召し上がり下さい。」との事。
その当時その場で何が起こったのか自分では理解が出来ませんでした。頭の中が困惑し「こ、こ、これで7000円?????」・・・・・。
一番先の北海道の料亭で働いて献立を見たときは五千円・七千円・一万円・一万二千円と数字が並んでいた事に「料理に五千円も出す人がこの世にいるの?」と驚愕したものでした。
働き出して回数を重ねるうちそれが当たり前になり、それ以下では無理だとも理解でき今では最低でも地方なら五千円。都市部なら一万五千円からそれ以上でなければ美味しい食事は出来ないし、料理屋が経営が成り立たない事も分り、それ以下の金額で食べるのは控えるようになりました。
ですから、青森や北海道で五千円から一万円以上の料理を造り続けてきて、期待を胸に借金もして少ない休みを利用して時間もかけて青森から出てきた自分の前に「メインです。」と冷凍の豚肉が出てきた時はショックと言うか、唖然として時を止められてしまいました。
「これって、青森なら2500円~2800円くらいの料理だろう!!!お昼ならそれ以下の金額で食べれる。」とその時は天が砕けて落っこちてきた気分でお店を後にしました。
{津軽海峡天然活締め桜マス。サーモンと言われる物とは別格。朝締めで血抜きをしている為身はプリプリ。まったく血が滲んでこない。}

それからも懲りずに、働きながら寝る間を割いて料理屋さんの本を読み「この人は期待を裏切らない!職人の心を理解している!」と借金してその料理本のお店に食べに行くと「・・・・・・・・・・・・・・???。」
コースの水菓子作りを任せられていた時期があり、料理本で見るその水羊羹の美味しそうな写真に恋焦がれ、自分自身もそのレシピ通りに水羊羹を何度も作り予習して、「本家は自分の作る羊羹よりもうまいだろう!」とわくわくしながらそのお店に水羊羹だけを目的に一万五千円のフルコースを食べに行った事もありましたが「??・・・・・・・・・?。」
それから幾度となくその様な思いをして分った事は、青森・北海道などの食糧自給率の高いところと、食糧を他の土地に依存しているところでは普段の食生活のレベルが違いすぎるという事でしょうか?所得格差や土地代も関係するでしょう。
生産地は食材も手軽に程ほどの価格で鮮度のよいものが頻繁に入り(輸入物は別)、都市部はお客様の口に入るまでに人や商社や商店などなど、間にいくつもの卸しが加わりお値段は上がり鮮度は落ちるという仕組みになっているものです。
青森など自然環境が豊富な地域では、ご近所さんが野菜を作っていたり、漁師もしくは魚釣りをしていたりして、おすそ分けもちょくちょくあることです。
今ではその辺の塩梅が少しは理解できる様になりましたので、都市部へ食事を楽しみにお邪魔する感覚も変わってきました。
都会でも地方でも美味しいものは必ずあります。けれども「和食は和食」と同じジャンルで都会の和食と地方の和食を比べて計らない事。好みでなかったら別なジャンルの美味しさを探す事。料理だけじゃない部分をもっと観察する感覚をつける事。都会の「美味しい。」と地方の「美味しい」は感覚や美味しさのレベルが違う事。土地によって美味しさに格差がある事と都会人と地方人では好みが分かれる事。生まれ育って食べてきた食べ慣れた美味しさも多少は関係するかもしれません。日本海側と太平洋側では食文化が好対照な事。内陸部と沿岸部では魚介類に対する感覚が違う事。食糧自給率が低いところは粉物が多く、ケーキ類は優れている事。金銭感覚では飲食店に限って言えば、一般的なラーメンやお蕎麦、チェーン店などは都会でも地方でも価格に格差が有りませんが、料理屋やレストランなど料理やそのほかの要素が格上になると都会と地方では2~4倍の値段の格差がある事などなどを感覚的に憶えて食事を楽しむ方が利口だと感じます。
{津軽半島のシラネアオイ。花言葉は‘完全な美’}

そうこうしているうちに、幼少から自分が食べてきた家庭料理や田舎料理・郷土料理がとても優れたものだと気付き始め、飲食店では出会うことが出来ない素材や食材の組み合わせ、その料理の歴史や文化に根ざした奥深さ、市場や料理本に出回ることの無い食材や家庭の食などなど「こっちの方が美味しいし面白いな~。」と思い始め、料理屋さんやレストランでは味わえない感動や凄みを理解出来るようになりました。
青森を出て食べ歩いて青森と他を比べて感じる事があります。まず、築地や黒門市場、九州の市場などをお邪魔して「これは違うな~。」と思ったのは、魚屋さんが扱いが違う事。築地・黒門・九州の魚屋さん方は魚を丁重に大事に大切な商品だといたわって扱っている事。お客さんに対しても建前的に物腰も低い。青森の魚屋さんは魚の扱いが、この辺では普通のことなのだけど他と比べれば乱暴。お客さんととても友好といっていいか、一般のお客さんから見ればどっちがお客さん?という接客(それもこの辺では普通の事)。青森では魚介類の量も種類も多いので魚の扱いはレベルが低く、お金は無くとも食べるのに困らず競争原理も働かないので客あしらいもそうなるのでしょう。
青森では雑魚扱いされ値段が付かない魚(木箱一箱数百円)も都市部に売りにいけば「高値が付く。」と売りにいっている方も青森ではいらっしゃいます。
自分が選んで青森県外の飲食店の方や料理が趣味のお客様に食材を送ったりすると「こんないい魚は手に入らないです。」とよく言われ、時には「身は刺身にして、頭は酒蒸しして、骨は煎餅にして・・・・。」と言われ「青森では面倒でその位の魚なら頭も骨も料理しないし、捨ててしまうでしょうね~。」というと「青森は沢山有るからですよ。こちらは無いからそういうところも料理します。」と言われたりする事もあります。
スタッフを東京や大阪の料理屋さんに連れて行ったときなども、「いいかい、料理よりも違うところを見なさい。違うところを勉強して仕事に生かしてちょうだい。」と言っても、料理を期待しているらしく、食べてる最中は隣で自分が二十代前半にそうだった様に、眉間に皺寄せながらムスムスと食べていて、食後店を出てから「何で鯛の骨が出てくるの?(コースの中ほどで焼いた鯛の骨だけが出て来たので)あれは青森では犬猫が食べるもの(人はど真ん中ばかり食べるので)美味しいのは分るけどお金出してお店で食べるものじゃない!」とか、いきなり最後の最後のデザートを見て笑顔になったかと思うと、食べ物じゃなくガラスの器が「すばらしい!」と今の今まで料理を一つも褒めてないのに騒ぎ出したり。またとあるところでは疑問・自問自答しながらコースを食べていて、最後の食事の天丼の天麩羅の下のご飯を指差して「これ、美味しい。どこの米か聞いて・・・。」と自分を攻め立て、「今の今まで眉間に皺寄せながら食べてて、料理のこと聞かないで米の事だけ聞くの?お店の板前さん達は食べてる姿見てるんだよ。」と言っても自分を追い詰めたり、またまたとあるところではいつものように頭をかしげながら食べていて目の前の板前さんが手にしている鉛筆ほどの緑色の食材を目にしたところ「あっ。やった。知ってる食材だ。(あれなら期待できる)ミズ(山菜)じゃないの?ミズ?聞いて見て?」とまた自分に肘打ちすると板前さんがにっこり笑って「蕗です。」と説明してくれると自分が「メインです。」と豚肉を出された時と同じくスタッフは時が止まったらしく「そんな細い蕗青森では誰も食べない!(山蕗の時期には大人の親指より太いシャキシャキと瑞々しい香り高い蕗を食べているから)」と感じながら出された鯛の御頭と一緒に煮付けた蕗を食べてみると、ボクボクと歯ざわりが悪く蕗の味も香りも無い。隣では説明してくれた板前さんに悪かったらしく下を向いてしまったりなど、後から「何であれで何万円もするの?」と度々聞かれましたが、それが青森の一般的な感覚なんでしょう。
{陸奥湾特産トゲクリガニ。身・ミソ・卵・産卵時期だけ見られる甲羅に張り付いた脂肪と四つの味を楽しめる蟹界の横綱。}

お店で聞いていると青森のお客様からも随分ひどい話を度々伺います。
「むつ市(津軽海峡に程近いところ)に住んでいた頃、鮑をよく貰うんだけど、貰いすぎて食べ飽きて、鮑の出汁だけ取って汁物にして身は捨てちゃった。」下北の人ならやりそうなお話です。
「家では鮑のカレー。だって肉が買えないんだもん。(漁師だから鮑はタダ)それが一番安上がりで手っ取り早いでしょ。」沿岸部の方々からはよく活烏賊や鮑を入れた魚介カレーの話は耳にします。それが一番安いからでしょう。
「下北の漁師の家に冬行けば、軒下に生のまま水蛸(大人の腕ほどもある)干しといて、それが凍ったところ(パーシャル状になっている)を輪切りにしてストーブ(達磨ストーブ)の上に乗っけで焼いて酒のつまみにする。」青森では冬の水蛸は何十キロにもなり一本の足が大人の腕ほどある蛸が水揚げされることが度々あります。この手の話もよく男性方から聞きます。
「冬の水蛸ありますよね。(これも大人の腕ほどの水蛸)軒に干しているの。あれを2~3cm位に厚切りにして、フライパンでオリーブオイルで焼いて塩コショウしてフォークとナイフで蛸ステーキにして食べるんですよ。」下北の女性から新たな水蛸の食べ方も聞けました。イメージとしてはハンバーガーくらいの直径の蛸の輪切りです。そのステーキって美味しいだろうし、冷えた白ワインが欲しいな~。
「実家が漁師なんですが、トゲクリガ二(陸奥湾特産のカニ類で一番美味しい蟹)のソフトシェルクラブ(脱皮したてで殻も身も柔らかい蟹)がたまに数ある中には獲れるんですよ。それをそのまま殻ごと唐揚げにして食べると美味しいですよ。」津軽半島の陸奥湾側の方から聞いたお話ですが、トゲクリガニのソフトシェルなんて聞いたことも見たことも自分は無いですが、美味しいと確信出来ます。市場にそんなの売ってません。
「家の塩ウニは明礬も使って無いし、紅白の無添加塩ウニなんですよ。」と太平洋側のお客様からお土産でいただくと、ムラサキウニとバフンウニが綺麗にマーブル状に牛乳瓶に入っていて、食べてみると塩ウニと言うより生に近い。柔らかく甘く、濃厚で繊細で美味しい。一般的な塩ウニの苦味やえぐ味がまったく無いし、紅白の塩ウニなんて見たこともなかったです。
「烏賊って、鳴ぐんだよ。ギイー、ギイーって。東京で寿司食った時、びっくりしたじゃ。烏賊白いんだもん。今まで活きだ烏賊しか食べたことねぇ~(無い)から・・・。家にいれば生ぎだの売りに来るんだもん。叩げばギイーギイーって黒光りした烏賊ばさ・・・。」津軽半島の漁村のかたのお話ですが、青森では大抵烏賊は半透明なもの。活きた状態のものは内臓が見える透明。その烏賊を触ると威嚇して墨を吐いたり、半透明から黒や赤や発色したような色に様々変化します。漁村の方々はそれを朝から刺身にしたり、焼いたり煮たり、包丁で叩いてミンチにして揚げたりします。決して鮮度が落ちたから焼くとか揚げるということは無く、毎日売りに来る漁師がいるので必要な分だけしか買わず、活きた烏賊を色々料理するものです。
自分自身も漁師宅や農家宅(半農半漁もあり)に伺う機会がありますが、その食生活は都会の方々から見れば贅沢なものでしょう。
何皿もの大皿が所狭しと並べられ、一皿にカレイの塩焼きや煮つけがドンドンドンと何枚も重ねられ、透明な烏賊刺しも丼に山盛り、天然平目や天然鯛の刺身も一緒盛でドンと盛られ、ホタテのフライは「落ちるんでないの。」という量、切っただけのたっぷりのトマトと胡瓜と身欠き鰊に味噌とマヨネーズが添えられ、蕗やワラビなどの山菜と魚介類をあわせたたっぷりの煮しめ、季節の漬物数種類などなど平均十皿は出されるでしょうか?それを各々自分で取り分けて食べるので、小皿料理はありません。それが農家・漁業家では普通の事です。その様な育ちの方々はお腹一杯で食べなくても、食事の席やお酒の席には数々の料理が載った皿が並んでなければ機嫌が悪いものです。テーブル一杯料理が並んでなければ気がすまないものです。冷蔵庫に沢山食材が詰まっていなければ不安でしょうがないものです。
{津軽海峡天然水蛸。30㎏アップ。}

ある農家に行ったときなど無農薬のブルーベリーが採り放題で、大人の親指の爪よりも大きい甘い採れたてのブルーベリーを丼一杯スプーンで掬いながら食べれて、毎年それを楽しみにしながらお邪魔します。でなければその農家の家人は食べないので小鳥の餌になるか、採っても畑の隅のごみ置き場に捨てられてしまいます。売れば何万円にもなるものを・・・。
そのブルーベリーのお宅で驚いたのは生の花豆を塩煮してあって、それを口にしたときの感動は忘れる事は出来ないでしょう。普通花豆は乾燥したものが売ってあります。我々板前は、それを一日水を吸わせ、何度か灰汁抜きし、コトコトゆっくり気長に甘く煮付けます。花豆の美味しさに感化され、自分でも挑戦しようと、自分の家に植えたことがありますが、平均気温が低くないと成りが悪い事と、4月後半に植えても11月後半でなければ収穫できず、胡瓜やトマトの蔓に花豆の蔓が絡まり、畑を占領している期間も長く効率性が悪く「とても片手までは出来る代物では無い。」と断念したものでもありました。その花豆を乾燥させず生の採れたての柔らかいものをそこの農家のおばあちゃんが、ちょっと砂糖を効かせて塩煮してあり、食べてみるとまったく皮を感じず、身と皮が渾然一体となりサワサワサワ~と口に溶けていくのです。粒アンを食べると小豆の皮が歯に当る感触が有りますがそういうものが、まったくなく、皮付きの豆を食べているのに漉し餡を食べているかのような感覚に囚われました。「すっ、すっ、すごい!この花豆!」とその美味しさと歯ざわりに声が出てしまいました。こんなもの豆好きの自分でさえ出合った事が無い。肉も魚も生ものも飽きて乾物に興味が行き、豆で色々遊んでいても生の花豆なんて見たこともありませんでした。自分が驚いているその脇で一歳にもならない歯も大して無い赤ちゃんがむしゃむしゃとその花豆を頬張っている姿を見て、作り手のおばあちゃんにひれ伏してしまいました。「脱帽し、ひざまずいて、ひれ伏して飲むべし。」とやらワインのお話でありましたが、その境地が分るような気がいたしました。
{藤崎産ホワイトアスパラと三沢産ホッキ貝のバター醤油炒め。}

自分が耳にしたり、農家魚業家で体験する事は、お金を出しても体験出来ない事ばかりです。勿論市場にその様な食材は登場する事も飲食店で食べる事も出来ません。
「売ってください。」と頼んでも食べる事は出来ないでしょう。その多くは自家用消費で売り物ではないからです。食べたかったらそこに何度もお邪魔して、昼下がりに一緒に漬物をお茶請けにしながらおしゃべりしたり、夜は一緒にお酒を飲むしかないのでしょう。そして、その多くの農家漁業家は外食するという習慣が一切なく、三食自宅。冠婚葬祭ぐらいでしか外で食べる事はほとんどなく、自分たちの食生活を‘普通’と思っています。何一つ自分たちが贅沢な食事をしているとは思っていません。テレビの芸能人が「美味しい!美味しい!」と連呼している世界観の方が贅沢と思っているでしょう。
飲食店では思いつかないような調理法や食材の組み合わせも目にする事が出来ます。料理人は頭が固まってしまって、なかなか新しいアイディアは生み出せません。「この食材とこの食材を組み合わせれば相性がいい。」と親方々から教えられるし、料理本にもそう示されてしまっているからです。筍とワカメ、鯛と蕪、鴨と葱、棒だらと里芋などなどそれはそれでそれ以上の組み合わせは無いし、その美味しさなら多くのお客様の支持も受けられます。それだけに幅が狭いかもしれません。
田舎料理や郷土料理にはまだまだ自分を楽しませてくれることも多そうです。
それからもう一つ、青森と都会の食生活の違いで気付く事は、定食屋さんにお邪魔した時など東京では、例えばトンカツ屋さんなどは、お皿の上はキャベツとカツだけ。それにご飯と味噌汁。付いても漬物少しだけ。青森ではこれは考えられないことでしょう。
~~定食。青森ではメインは勿論、それにポテトサラダにレタス少々トマト一切れ、その時の都合で和え物や炒めのなどの小鉢が一品か二品に漬物、たっぷりのご飯(東京の2~3倍)に味噌汁が付きます。
ひどい時などある町で野菜炒め定食を頼んだら、たっぷりの野菜炒めにたっぷりのご飯に味噌汁、その他小鉢一つにツブの煮付け二つと剥きたての活のホタテ刺しが付いて出てきたことがありました。「これって本当に野菜炒め定食?」と疑いたくなります。それで750円です。青森ではこういう事が多々あります。青森市内より市外に出て町や村で食事をするとそれに出会う確率が上がります。東京ではありえないことでしょう。
お蕎麦屋さんでも東京では狭苦しい中相席で(青森の人は相席はしません。待つ文化はありません。空いてなければ別な店に行きます。一人で四人掛けテーブルも座るし許されます。)お蕎麦を啜ったり、昼のお酒のつまみに‘いもかけ’や‘板わさ’を頼んだりする姿を拝見します。最初は「何のことだろう?」と不思議に思っていましたが、隣近所の席のおじ様方が「おばちゃん、いもわさとお酒。」「お酒と板わさ。」と次々注文してくれたので、「何が出てくるのだろうな~?」と楽しみにしていたら、小鉢にちょこっと大和芋かイチョウ芋を摺ったのにすり山葵だけ。それに醤油掛けて。と、小さな板に一cm位の蒲鉾二切れとすり山葵。どちらもその界隈のお蕎麦屋さんでは600~700円。「えええ~~。青森では百円しないだろうな~~~。」という世界観も楽しませていただきました。
この頃は青森も都市化してきたのか、「気持ちさみしいな~。」という定食も見かけたり、コース料理のお皿の上は肉だけ、魚だけ。付け合せはなし。という料理も見かけるようになりました。「シンプルでいいんだけど、東京料理だな~。最近の料理本見過ぎかな~?青森でもこの料理で大丈夫かな~?」と感じる事も増えましたが、それでもまだまだ青森のご年配の方々農家漁業家は贅沢なものでしょう。
平均的に青森の方々は贅沢な食生活・豊かな自然環境・多様な温泉やのんびりした環境に恵まれているものです。
それだけに競争原理が働かず「もったいない~。高く売れるだろうな~。」と度々思いますがそこがまた青森のいいところですね。

{今年は少し遅れるかもしれません。横浜町菜の花畑。}
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ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧下さい。
日本酒
~営業のお知らせ~
ゴールデンウィーク期間中は休まず営業いたします。
よろしくお願い致します。
{そろそろ白鳥もお引越しの時期です。金木町田園にて}

お料理とお酒という関係はなかなか面白いもので、お料理を1とし、お酒を1と考え、料理とお酒を合わせると1+1が3になったり4になったりいたします。勿論これはお料理とお酒の相性が合えばということが前提です。
「お料理だけ。お酒だけ。」と単体で召し上がるよりも、二つを合わせることで相乗効果が生まれ、味わいはさらに深まりどちらも楽しめとても有意義なひと時を味わうことが出来るものです。
お店によって売りが様々ですから、どの部分をお店の持ち味と感じるかはお客様によって千差万別だと思います。お店の売りとお客様の取らえ方にもギャップも生じる事もあるかもしれません。
料理が売りのお店もあれば、お酒が売りのお店もあり、設えや内装などの雰囲気造りなどのプレゼンテーションが売りのお店もあるでしょう。清潔感やサービス、価格や話題が売りのお店もあるでしょう。
それでも基本的には‘料理・お酒・設備’が売りの基本で其処に価格と付加価値としてとサービスが重要な要素を締めるでしょうか?
飲食店の多くの話題とすれば基本的な要素がそのほとんどを占め、「料理がいい。」「酒がいい。」「店構えがいい。」という風な話題がお客様は多いものです。
その様なお話も少し踏み込むと、「あのお店は料理はいいんだけど、お酒がね~。飲むものが無いんですよ。」「あそこのお店はお酒は充実してるんだけど、料理がいまいちですね。」「ここのお店は造りがいい。調度品や内装がすばらしいです。」などなど色々なご意見を耳にいたします。
カウンター越しに皆様のお話を伺っていると、自分の総評としては「一個人にとって料理もお酒も店構えも全てが満足出来るお店は無いだろうな~。」というのが感じられます。
勿論、多くのお店側はお客様のために自分の店つくりの向上のために「今度はああしよう。」「予算が出来たらこうしよう。」などと色々思い描いてはいるものです。ところがお客様が思うほど飲食店は手元に予算が残らずお店側にはジレンマがあるものです。それからお店側の力量も関係するでしょうか?
お客様から見れば、「料理の技量が無い。」「お酒の知識が無い」「飾ってあるものが安っぽい。」「お店に清潔感が無い。」「価格が見合ってない。」「料理とリストのお酒のバランスが悪い。」などなど、お店側が足りない分野・努力不足と見える部分もあるものでしょう。
「料理を作っている人がお酒を飲む人か飲まない人かによっても、味わいは代わるでしょう。料理はいいんだけどお酒が合わないのを出されると料理も半減しますよ。大抵そういうお店は板前さんが飲まない人が多い。」「あそこのシェフはのんべ~だから、料理は少ししょっぱいよね。」「あのお店のマスターは飲まないからご飯のおかずの様で一品一品の量が多いよね。」「料理作る人がお酒飲めて、その料理に合ったお酒を進めてくれると進むよね。」「お酒のメニューをお酒屋さん任せにしているお店はバランスが悪い。」などなど色々なご意見を伺います。
{初リリースの田酒‘華想い(酒米名)百四拾(酵母名)の純米吟醸。}

自分は開店当初今まで料理を主として仕事をしてきた為、「料理屋は料理が主役!」という思いが強かったのか、「自分の作った料理を楽しんでほしい。」という思いもあったのか、料理に力は注いでもお酒に対してはあまり執着が無かったものでした。
その為、お酒は飲んでいたものの当初はお酒屋さんに「自分はお酒の事は良く分らないので、こんなお店なんですがどんなお酒を揃えればいいですか?」とお酒屋さんに相談してお任せしたものです。
日本酒の種類は青森でならどこでも置いてあるような銘柄の5種類ほどでしょうか?
焼酎は一種類。ワインは国産の赤・白一種類ずつで原価で1500円ほどのものを。青森なのでアップルブランデーも勧められましたので置いてみました。
いざ開店してカウンター越しにお客様がメニューを見、料理を食べお酒を飲んでいると「もっとお酒の種類増やした方がいいんでない?」「料理とお酒が合ってないんじゃないかな?」「どこでも飲めるお酒ばかりだね?」などと随分言われたものです。
最初は「料理が主役なんだからお酒なんて別にいいんじゃないかな?」と思っていたものですが、お客様に色々助言していただけるので「少しお酒を充実させようかな?」と思い、同じお酒屋さんに「お勧めのいいお酒があったら持ってきてくれませんか?」と頼んでのですが、持って来ていただくお酒がランク・値段に関係なく全て自分で飲んでみると美味しいと思いませんでした。お酒のプロに勧められたものとはいえ「このお酒が自分の料理と合うのだろうか?」と疑問ばかりが多いものでした。
それから「人任せにしてはいられない。お客様にお店を楽しんでいただくために自分で探そう。」と思い立ちました。
暫くしてから理解できた事ですが、料理とお酒のバランスが合わなかったのは、自分の注文の仕方が悪かった為で、個々にお酒屋さんは得意分野があり「この酒屋さんは地酒が充実している。」「こっちの酒屋さんは全国の銘酒が豊富。」などなどそのお酒屋さんの持ち味を見極め注文できなかった自分が愚かだったと思います。
それから道すがら見かける酒屋さんには全部お邪魔し、自分の直感を頼りによさそうなお酒は全部買い集め、毎日のように味見をする作業に掛かりました。
ランクとかブランドに関係なく、自分で美味しいと思うお酒はお客様にお勧めし、講釈も説明し、幾ら高額でも自分の舌にそぐわないものは料理酒に消えていきました。一升瓶で一万円のお酒も何口か味見して料理酒に消えていった事も何度もあったものです。
やはり値段やブランドに関係なく、自分で美味しいと感じたお酒は自分の料理と相性がいいのか、お客様の反応も開店当初に比べれば数段良く、お酒好きな方々もお出でいただけるようになり自分でお酒に取り組んだ事がお店を助ける事になりました。
今では青森県の地酒を中心に30~40種類の日本酒を常備しております。
純米酒には純米の美味しさがあり、大吟には大吟のおいしさがある。生酒には生の美味しさがあり、加熱処理したお酒にはまたその良さもあるものです。それぞれ見極めお勧めすればいいことでしょう。
{美味しいお酒をより一層美味しくしてくれる味わいある酒器。全て青森県内の陶芸家もの。}

自分は利酒師でもないし、毎日浴びるほどお酒を飲む人間でもありません。晩酌もしなければしないでも気にならないほうでもあり、お酒は好きですが多くは飲もうとは思いません。あくまで料理が主役でそれをより一層美味しくする為にお酒を飲み、量よりはいいところを少し飲むタイプで、仕事柄差し迫って薀蓄より舌で覚えたものです。
毎年正月明けになるとその年のお酒選びが始まります。1月~4月頃にかけて新酒を味見し、メニューに載せるお酒をピックアップしていきます。
その期間で新酒として発売直後にお勧めするお酒と熟成向きのお酒を判別し、メニューに乗せる時期や期間を大体大まかに確認いたします。
お酒を美味しく飲むには知識も大事でしょう。最初に基本的なランクを覚えておくといいでしょうか?
ピラミッド型を想像し横に八等分します。一番上に来るごくごく少数が、斗瓶取り(大まかな説明ではタンクから一升瓶で2000~3000本取れるうちの上澄みの一升瓶10本分。一升が10本で斗という値)。その次が純米大吟醸>大吟醸>純米吟醸>吟醸>純米>本醸造>普通酒などと続きます。その下には紙パックなどに詰めた大量生産の物で、何か分らぬ酒に水やら旨み調味料やらエタノールなどを添加した日本酒まがいのものです。
純米系といわれるものは原材料に米と米麹だけが使用され、吟醸系は米と米麹に醸造アルコール(エタノール)が添加されます。(よい酒に使われている醸造アルコールは質のいいアルコールを加えている)醸造アルコールを加えるとラベルには‘純米’という文字は明記されません。興味のある方はお酒のビンのラベルをご覧いただければよろしいと思います。
大吟と吟醸の違いはお米の磨き、精米の比率が違います。
簡単にご説明すると、お米を磨けば磨くほど美味しくなり大吟醸になりますがお米の量が少なくなる分原価も手間もかかり価格も高くなる。本醸造のように磨きが少なければ磨いたお酒に比べ味わいが劣るけれども大吟醸などに比べ手間も少なく、原料も多い分価格が安めで済みます。
純米大吟醸と大吟醸、純米吟醸と吟醸の違いは米の磨き比率と、醸造アルコールを添加しているかしていないかとご記憶していただければよろしいでしょう。
山廃仕込みや生元(きもと)造りは昔ながらの造りで時間も掛かり、コストがかさむ為少量生産ですが、味わいに独特な奥行きと香りがあり、お酒が飲みなれた方にはお勧めできますが、初心者の方にはお勧め出来ないとご記憶下さい。
純米系は舌での奥行きのある味わいが重点で、吟醸系は香りや華やかさが売りです。山廃や生元は独特の酸味と苦味と奥行きがもちあじです。それぞれ特徴を把握すると楽しみ方も増えるでしょう。
お酒を始められる時の注意点ですが、料理でもそうなのですが、少量でいいから一番格上のものから味わう事でしょう。格下の安酒を飲まれて美味しく無いイメージや悪酔いなどをすると、日本酒に対して警戒心が出来てとても残念です。
よく「日本酒飲んだ事あるけど飲めない。」などという方は、幼少の頃家庭で安酒を飲んでいたお父さんの影響や上司やら仕事関係で進められ遠慮できない状況の中安酒を飲んだのが原因が多いようです。
斗瓶取りや純大吟で最初覚えるといい感覚で舌が出来ますから、安酒に手を出すことも無いですし、暫くするとピンからキリまでも憶えることが出来るでしょう。
最初は「何でこんな値段するんだろう?これなら低価格の方がお得でそっちを選ぶかな?」と感じますが、暫く飲み続け格上の感覚で舌が記憶できれば、味わいの格差も酒蔵の苦労もご理解いただけるようになります。
{新酒および生酒や原酒など。出荷したてでも美味しく、多くは熟成にも適した地酒。}

当店では大体12月~4月にかけて新酒の生酒が出回りますのでその期間はメニューにも生酒が多く登場いたします。
お酒の季節の楽しみ方の基本的な自分の考えは、寒い時期1月~3月は純米の新酒の生酒を楽しみます。寒い時期なればこそ酒蔵から生酒や原酒が出荷され、生酒や原酒特有の芳醇で香り高いお酒を楽しめます。暮れから正月明けに出る生の純米酒は、純米吟醸や大吟醸を差し置いても充分楽しめるもので、ヘタな大吟醸などよりもいい造りの生の純米酒を飲むほうがその時期は利巧でしょう。
春になると気温の問題で、酒質が変わるのを蔵元が嫌うので生酒はあまり出荷されません。一般的な火入れしたお酒が出回ります。気候的にも生酒だと甘く感じるので春から秋にかけては火入れされたお酒のほうが飲みやすいでしょう。
火入れされたお酒は生酒や原酒に比べ味わいや香りも軽めに感じますが、火が入っているため味わいも安定していてスッキリと飽きずに長く飲めます。質より量という方にお勧めでしょう。
夏場は特に暑いので日本酒そのものが甘くしつこく感じるので、サラサラとした味わいでスッキリと軽やかで、冬場には美味しく感じられないような火入れの純米吟醸や純米などを夏には選ぶ事になります。
それから夏場はあまりお酒も出荷されません。美味しい格上の純米大吟醸や斗瓶取りのお酒が出荷されるのは、夏前か秋から12月にかけてが多いものです。
蔵での仕込みが本醸造や純米が終わってからということもあるようですし、いい酒は少し寝かせないと美味しくなりません。甘味が旨みに変わります。ですから冬から春までは出来立ての香り高く濃厚な新酒を味わい、秋口には蔵で味わいを増した‘秋上がり’‘冷やおろし’(低温で貯蔵しておく事)などと言われる春先には無い静かながらも奥行きのある味と、春先には暴れていた新酒が落ち着き、香りが余韻に変わり、甘味が旨みに変わったところを楽しむのが秋口のいいところでしょう。
斗瓶取りクラスや酒蔵の威信をかけたトップクラスのお酒は12月くらいの発売が多いものです。
造ってから半年以上寝かせないと美味しくならないということもあるでしょうし、価格的にも高額なのでお歳暮用やお正月の御自宅用に販売する要素もあるようです。
それから酒米の種類によって味わいも異なり、また出来立てが美味しい酒米と低温熟成させないと真価を発揮しない酒米もあります。これは蔵もしくは銘柄にも通ずることで、出荷したてが美味しい酒蔵と寝かせないと美味しくならないお酒があり、それは飲み分けする必要があります。
「酒は早く飲まないと腐っちゃうでしょう。」とおっしゃる方々も居られますが、お酒によっては生酒で常温で4~5年ほっといてもビクともせず味わいが増すものもありますし、蔵によっては何年か寝かせてから出荷するお酒もあります。冷蔵庫での低温貯蔵による酒造りが浸透しているのも有るでしょう。
熟成酒の中には、開栓して一ヶ月たっても味わいがへこたれないものもありますので、熟成酒の美味しさも味わっていただければと思います。とても熟成酒とは感じさせないフレッシュ感と濃厚な味わいのすばらしいお酒も有ることをご理解いただきたいと思います。
すばらしい熟成酒に出会うと、その奥行きと喉元をくすぐられるような後を引く美味さに「こういう楽しみ方も有るんだな~。」と感心してしまいます。
勿論開栓して見る見るうちに枯れていくお酒もありますが、それもそのお酒や蔵の性質を見極め飲み分ける必要があります。
{熟成酒地酒。長いもので七年ものもあり、当店で熟成させたものと熟成好きの酒屋さんの低温冷蔵庫で味わい深くなる‘その時’を待っていたお酒。}

熟成酒でも新酒でもそうですが、開栓したてと開栓して空気に触れ数日たったものでは味わいが違います。多くのお酒、新酒などは開栓直後は渋みと苦味があり、それが分らない方は堕酒と判断する事もあるようです。特に格上の日本酒は空気に触れてから味わいが深まるものが多いので、開栓仕立てで味を判断しないで出来れば開栓したてを味わい、また栓をして冷蔵庫で1~2日置いといて空気に触れた味わいを飲まれるのをお勧めいたします。
「蓋開けて空気に触れたら香りが飛ぶから残ったら空気抜きして保存しなければダメでしょう。」という方も居られると思いますが、それは堕酒で、しっかりした造りのお酒はそんなことではビクともしませんし、空気に触れるにしたがって味わいが増していくお酒もあります。
透明な液体からは想像は難しいかもしれませんが、飲みなれると「これは熟成向きの酒だ。」「これは早飲みじゃないと枯れる。」と分って来るものです。
ですから、冬から春にかけ新酒や斗瓶取りクラスの味見をして、熟成向きか早飲み向きかを見極め、年に一回しか販売されないお酒は買い置きし、お店で熟成させてからお勧めしたり、熟成酒が得意な酒屋さんには機会があるごとに「このお酒何年寝たかな~?」などと相談しながら酒質を見極め味わいをコントロールいたします。
その様な事はワインも同じでありますが、ワインの方が講釈や知識がかなり公にされている為、一般の理解度は高いものですが、実は日本酒の方が薀蓄や講釈は多いような気がいたします。ただ単に自己主張が少なく、売り込みや見栄を張ることをよしとしない日本文化の中で、お酒の薀蓄・講釈が語られずにきたので、世界規模で売り込み合戦しているワイン市場の講釈の前に後走りになっているものです。
今では世界の先進国では日本酒が飲まれ、日本酒の蔵元からも世界に売り込む動きがここ数年加速して、輸出をしたり海外で日本酒を生産している日本酒メーカーもあるものです。
自分はワインも好きでここ3年ほど日本酒よりはワインの方がめっきり多いですが、醸造技術とすればアルコール類の中で日本酒はピカイチです。日本酒以上の醸造技術を持ったアルコールは世界に無いでしょう。
何も知識も先入観もなく、日本酒を知らない人に透明な液体を勧めて「この透明な液体の原料は何でしょう?」と答えを求めても一発で「米」と当てれる方はいないのではないでしょうか?ワインなら「これは果物で・・・。ブドウ!」と当てる方は多いでしょう。
米粒から透明な液体を作り出すのですから、それだけ日本酒は醸造技術のレベルが高いという事でしょうか?
日本文化らしく安定した品質と言う事も重要です。
ワインは経験を積んでいても開けるのが怖いものでもあります。何本かまとめて買い同じ銘柄で年代も輸入業者も同じで、買った日にちも一緒で同じ日同じ時間に数本開けても味わいが個々にまったく違うことなど度々あります。「美味しい。」と1ケース買って、その中の1~2本はブショネ(コルクが原因のかび臭い味香り)などがあったり、特に高額で熟成向きのワインなどでその様なものに出会ったら失意のどん底に蹴落とされ無駄な出費となってしまいます。ですから、「前は美味しかった。」と胸を張って進めることが出来ない飲み物でもあります。同じものなのに一本一本の味わいに格差がありすぎると感じる事がワインは多いものです。それだけお守りも大変だからワインは可愛いものでもあります。
{おつまみに。料理有りきでも、お酒有りきでも、どちらでも楽しんでいただければよいでしょう。}

勿論厳密に言えば、日本酒も一本一本味わいが違います。春と秋で味が格差があるということは当然ありますが、同じ銘柄のものであれば、同じ季節で多少保存状態に格差があってもほぼ同等レベルの味わいをキープ出来る為、安心して勧めることも出来、優等生的なアルコールであります。
醸造技術が優れていると言う事がいえるでしょうか?それだけ人為的要素が日本酒にはありますが、ワインと同じようにテロワール(農作物が育つ環境。気候・土壌など)も重要な要素です。
大変遅くアルコール類ではお尻からのスタートですが、日本酒メーカーでもテロワールや酒米の個性、醸造技術・杜氏さんの肩書きなどを語るところも増えてきました。
その年の気候・風土によって酒質も変化があるということも語られるようになりました。ワインで言うヴィンテージでしょうか?
どのアルコール類にも共通して言える事ですが、まだまだ商売酒が多く本物のお酒が少ないのも否めません。
いかにも「不純物を添加した。」「売れ筋様に味付けした。」「売れればそれでよし。」という風なお酒も中には見受けるものです。
斗瓶取りや純米大吟醸をお勧めして「まるでワインだね!」「甘すぎる。辛くないいといけない。昔で言う二級酒が一番美味い。」と言われる方は、まだまだ居られますが、純粋な日本酒と言うものの姿は本来そういうもので、お米が原料なのだから旨いと言うか少し甘めなのは当たり前、「ワインのようだね!」という表現は適切ではなくそもそも日本酒はそういう物なのだとご理解戴きたい。昔の二級酒が辛口と言うのは当たり前でそれは商売用に量を増やす為、醸造アルコール(エタノール)を添加したもので純粋な日本酒の姿ではないものです。
勿論その様な何かを添加したお酒が美味しいと言う方はそれはそれでいいと思いますし、自分も「日本酒とはこうだ。ワインはこうあるべきだ。醸造酒はこうで、蒸留酒はこれで・・・。」というのはあまり気にせず、美味しければいいと言う考えです。何かかしら添加していればカクテルと思えばいいものでしょう。
薀蓄ではワインに大差をつけられている日本酒ですが、これからは醸造技術のすばらしさとテロワールなどをお客様が語る時代が来る事でしょう。
ワインで言う「メルローが、カベルネが、シャルドネが・・・。」「ビオだ。ボロドー液二回のみだ。」「土壌が、石灰岩質だ。粘土質だ。」「急斜面だ。水捌けが・・・。インポーターが・・・。」「リーファーだ。地下セラーが・・・。」「ヴィンテージが、当たり年が・・・。」「気候が、風土が、テロワールが・・・。」「ワイナリーが、ネゴシアンが・・・。」などなど言うように、「華想いが、美山錦が、酒こまちが、山田穂が・・・。」「有機だ。農薬散布一回のみだ。」「棚田だ。ふゆみずたんぼだ。」「水田だ。土栽培だ。」「特A地区だ。AAA(3A)だ。」「中汲みが、あらばしりが・・・。」「無濾過だ。一回火入れだ。」「生だ。原酒だ。」「斗瓶が、吟醸が・・・。」「蔵が、杜氏が・・・。」などと日本酒も味そっちのけで講釈を並び立てて楽しむ様になるかもしれません。そのうち世界各地で日本酒を選択するのが通でステイタスになるときも来るでしょうかね~?

{日本一と詠われる弘前夜桜。}
ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧下さい。
ゴールデンウィーク期間中は休まず営業いたします。
よろしくお願い致します。
{そろそろ白鳥もお引越しの時期です。金木町田園にて}

お料理とお酒という関係はなかなか面白いもので、お料理を1とし、お酒を1と考え、料理とお酒を合わせると1+1が3になったり4になったりいたします。勿論これはお料理とお酒の相性が合えばということが前提です。
「お料理だけ。お酒だけ。」と単体で召し上がるよりも、二つを合わせることで相乗効果が生まれ、味わいはさらに深まりどちらも楽しめとても有意義なひと時を味わうことが出来るものです。
お店によって売りが様々ですから、どの部分をお店の持ち味と感じるかはお客様によって千差万別だと思います。お店の売りとお客様の取らえ方にもギャップも生じる事もあるかもしれません。
料理が売りのお店もあれば、お酒が売りのお店もあり、設えや内装などの雰囲気造りなどのプレゼンテーションが売りのお店もあるでしょう。清潔感やサービス、価格や話題が売りのお店もあるでしょう。
それでも基本的には‘料理・お酒・設備’が売りの基本で其処に価格と付加価値としてとサービスが重要な要素を締めるでしょうか?
飲食店の多くの話題とすれば基本的な要素がそのほとんどを占め、「料理がいい。」「酒がいい。」「店構えがいい。」という風な話題がお客様は多いものです。
その様なお話も少し踏み込むと、「あのお店は料理はいいんだけど、お酒がね~。飲むものが無いんですよ。」「あそこのお店はお酒は充実してるんだけど、料理がいまいちですね。」「ここのお店は造りがいい。調度品や内装がすばらしいです。」などなど色々なご意見を耳にいたします。
カウンター越しに皆様のお話を伺っていると、自分の総評としては「一個人にとって料理もお酒も店構えも全てが満足出来るお店は無いだろうな~。」というのが感じられます。
勿論、多くのお店側はお客様のために自分の店つくりの向上のために「今度はああしよう。」「予算が出来たらこうしよう。」などと色々思い描いてはいるものです。ところがお客様が思うほど飲食店は手元に予算が残らずお店側にはジレンマがあるものです。それからお店側の力量も関係するでしょうか?
お客様から見れば、「料理の技量が無い。」「お酒の知識が無い」「飾ってあるものが安っぽい。」「お店に清潔感が無い。」「価格が見合ってない。」「料理とリストのお酒のバランスが悪い。」などなど、お店側が足りない分野・努力不足と見える部分もあるものでしょう。
「料理を作っている人がお酒を飲む人か飲まない人かによっても、味わいは代わるでしょう。料理はいいんだけどお酒が合わないのを出されると料理も半減しますよ。大抵そういうお店は板前さんが飲まない人が多い。」「あそこのシェフはのんべ~だから、料理は少ししょっぱいよね。」「あのお店のマスターは飲まないからご飯のおかずの様で一品一品の量が多いよね。」「料理作る人がお酒飲めて、その料理に合ったお酒を進めてくれると進むよね。」「お酒のメニューをお酒屋さん任せにしているお店はバランスが悪い。」などなど色々なご意見を伺います。
{初リリースの田酒‘華想い(酒米名)百四拾(酵母名)の純米吟醸。}

自分は開店当初今まで料理を主として仕事をしてきた為、「料理屋は料理が主役!」という思いが強かったのか、「自分の作った料理を楽しんでほしい。」という思いもあったのか、料理に力は注いでもお酒に対してはあまり執着が無かったものでした。
その為、お酒は飲んでいたものの当初はお酒屋さんに「自分はお酒の事は良く分らないので、こんなお店なんですがどんなお酒を揃えればいいですか?」とお酒屋さんに相談してお任せしたものです。
日本酒の種類は青森でならどこでも置いてあるような銘柄の5種類ほどでしょうか?
焼酎は一種類。ワインは国産の赤・白一種類ずつで原価で1500円ほどのものを。青森なのでアップルブランデーも勧められましたので置いてみました。
いざ開店してカウンター越しにお客様がメニューを見、料理を食べお酒を飲んでいると「もっとお酒の種類増やした方がいいんでない?」「料理とお酒が合ってないんじゃないかな?」「どこでも飲めるお酒ばかりだね?」などと随分言われたものです。
最初は「料理が主役なんだからお酒なんて別にいいんじゃないかな?」と思っていたものですが、お客様に色々助言していただけるので「少しお酒を充実させようかな?」と思い、同じお酒屋さんに「お勧めのいいお酒があったら持ってきてくれませんか?」と頼んでのですが、持って来ていただくお酒がランク・値段に関係なく全て自分で飲んでみると美味しいと思いませんでした。お酒のプロに勧められたものとはいえ「このお酒が自分の料理と合うのだろうか?」と疑問ばかりが多いものでした。
それから「人任せにしてはいられない。お客様にお店を楽しんでいただくために自分で探そう。」と思い立ちました。
暫くしてから理解できた事ですが、料理とお酒のバランスが合わなかったのは、自分の注文の仕方が悪かった為で、個々にお酒屋さんは得意分野があり「この酒屋さんは地酒が充実している。」「こっちの酒屋さんは全国の銘酒が豊富。」などなどそのお酒屋さんの持ち味を見極め注文できなかった自分が愚かだったと思います。
それから道すがら見かける酒屋さんには全部お邪魔し、自分の直感を頼りによさそうなお酒は全部買い集め、毎日のように味見をする作業に掛かりました。
ランクとかブランドに関係なく、自分で美味しいと思うお酒はお客様にお勧めし、講釈も説明し、幾ら高額でも自分の舌にそぐわないものは料理酒に消えていきました。一升瓶で一万円のお酒も何口か味見して料理酒に消えていった事も何度もあったものです。
やはり値段やブランドに関係なく、自分で美味しいと感じたお酒は自分の料理と相性がいいのか、お客様の反応も開店当初に比べれば数段良く、お酒好きな方々もお出でいただけるようになり自分でお酒に取り組んだ事がお店を助ける事になりました。
今では青森県の地酒を中心に30~40種類の日本酒を常備しております。
純米酒には純米の美味しさがあり、大吟には大吟のおいしさがある。生酒には生の美味しさがあり、加熱処理したお酒にはまたその良さもあるものです。それぞれ見極めお勧めすればいいことでしょう。
{美味しいお酒をより一層美味しくしてくれる味わいある酒器。全て青森県内の陶芸家もの。}

自分は利酒師でもないし、毎日浴びるほどお酒を飲む人間でもありません。晩酌もしなければしないでも気にならないほうでもあり、お酒は好きですが多くは飲もうとは思いません。あくまで料理が主役でそれをより一層美味しくする為にお酒を飲み、量よりはいいところを少し飲むタイプで、仕事柄差し迫って薀蓄より舌で覚えたものです。
毎年正月明けになるとその年のお酒選びが始まります。1月~4月頃にかけて新酒を味見し、メニューに載せるお酒をピックアップしていきます。
その期間で新酒として発売直後にお勧めするお酒と熟成向きのお酒を判別し、メニューに乗せる時期や期間を大体大まかに確認いたします。
お酒を美味しく飲むには知識も大事でしょう。最初に基本的なランクを覚えておくといいでしょうか?
ピラミッド型を想像し横に八等分します。一番上に来るごくごく少数が、斗瓶取り(大まかな説明ではタンクから一升瓶で2000~3000本取れるうちの上澄みの一升瓶10本分。一升が10本で斗という値)。その次が純米大吟醸>大吟醸>純米吟醸>吟醸>純米>本醸造>普通酒などと続きます。その下には紙パックなどに詰めた大量生産の物で、何か分らぬ酒に水やら旨み調味料やらエタノールなどを添加した日本酒まがいのものです。
純米系といわれるものは原材料に米と米麹だけが使用され、吟醸系は米と米麹に醸造アルコール(エタノール)が添加されます。(よい酒に使われている醸造アルコールは質のいいアルコールを加えている)醸造アルコールを加えるとラベルには‘純米’という文字は明記されません。興味のある方はお酒のビンのラベルをご覧いただければよろしいと思います。
大吟と吟醸の違いはお米の磨き、精米の比率が違います。
簡単にご説明すると、お米を磨けば磨くほど美味しくなり大吟醸になりますがお米の量が少なくなる分原価も手間もかかり価格も高くなる。本醸造のように磨きが少なければ磨いたお酒に比べ味わいが劣るけれども大吟醸などに比べ手間も少なく、原料も多い分価格が安めで済みます。
純米大吟醸と大吟醸、純米吟醸と吟醸の違いは米の磨き比率と、醸造アルコールを添加しているかしていないかとご記憶していただければよろしいでしょう。
山廃仕込みや生元(きもと)造りは昔ながらの造りで時間も掛かり、コストがかさむ為少量生産ですが、味わいに独特な奥行きと香りがあり、お酒が飲みなれた方にはお勧めできますが、初心者の方にはお勧め出来ないとご記憶下さい。
純米系は舌での奥行きのある味わいが重点で、吟醸系は香りや華やかさが売りです。山廃や生元は独特の酸味と苦味と奥行きがもちあじです。それぞれ特徴を把握すると楽しみ方も増えるでしょう。
お酒を始められる時の注意点ですが、料理でもそうなのですが、少量でいいから一番格上のものから味わう事でしょう。格下の安酒を飲まれて美味しく無いイメージや悪酔いなどをすると、日本酒に対して警戒心が出来てとても残念です。
よく「日本酒飲んだ事あるけど飲めない。」などという方は、幼少の頃家庭で安酒を飲んでいたお父さんの影響や上司やら仕事関係で進められ遠慮できない状況の中安酒を飲んだのが原因が多いようです。
斗瓶取りや純大吟で最初覚えるといい感覚で舌が出来ますから、安酒に手を出すことも無いですし、暫くするとピンからキリまでも憶えることが出来るでしょう。
最初は「何でこんな値段するんだろう?これなら低価格の方がお得でそっちを選ぶかな?」と感じますが、暫く飲み続け格上の感覚で舌が記憶できれば、味わいの格差も酒蔵の苦労もご理解いただけるようになります。
{新酒および生酒や原酒など。出荷したてでも美味しく、多くは熟成にも適した地酒。}

当店では大体12月~4月にかけて新酒の生酒が出回りますのでその期間はメニューにも生酒が多く登場いたします。
お酒の季節の楽しみ方の基本的な自分の考えは、寒い時期1月~3月は純米の新酒の生酒を楽しみます。寒い時期なればこそ酒蔵から生酒や原酒が出荷され、生酒や原酒特有の芳醇で香り高いお酒を楽しめます。暮れから正月明けに出る生の純米酒は、純米吟醸や大吟醸を差し置いても充分楽しめるもので、ヘタな大吟醸などよりもいい造りの生の純米酒を飲むほうがその時期は利巧でしょう。
春になると気温の問題で、酒質が変わるのを蔵元が嫌うので生酒はあまり出荷されません。一般的な火入れしたお酒が出回ります。気候的にも生酒だと甘く感じるので春から秋にかけては火入れされたお酒のほうが飲みやすいでしょう。
火入れされたお酒は生酒や原酒に比べ味わいや香りも軽めに感じますが、火が入っているため味わいも安定していてスッキリと飽きずに長く飲めます。質より量という方にお勧めでしょう。
夏場は特に暑いので日本酒そのものが甘くしつこく感じるので、サラサラとした味わいでスッキリと軽やかで、冬場には美味しく感じられないような火入れの純米吟醸や純米などを夏には選ぶ事になります。
それから夏場はあまりお酒も出荷されません。美味しい格上の純米大吟醸や斗瓶取りのお酒が出荷されるのは、夏前か秋から12月にかけてが多いものです。
蔵での仕込みが本醸造や純米が終わってからということもあるようですし、いい酒は少し寝かせないと美味しくなりません。甘味が旨みに変わります。ですから冬から春までは出来立ての香り高く濃厚な新酒を味わい、秋口には蔵で味わいを増した‘秋上がり’‘冷やおろし’(低温で貯蔵しておく事)などと言われる春先には無い静かながらも奥行きのある味と、春先には暴れていた新酒が落ち着き、香りが余韻に変わり、甘味が旨みに変わったところを楽しむのが秋口のいいところでしょう。
斗瓶取りクラスや酒蔵の威信をかけたトップクラスのお酒は12月くらいの発売が多いものです。
造ってから半年以上寝かせないと美味しくならないということもあるでしょうし、価格的にも高額なのでお歳暮用やお正月の御自宅用に販売する要素もあるようです。
それから酒米の種類によって味わいも異なり、また出来立てが美味しい酒米と低温熟成させないと真価を発揮しない酒米もあります。これは蔵もしくは銘柄にも通ずることで、出荷したてが美味しい酒蔵と寝かせないと美味しくならないお酒があり、それは飲み分けする必要があります。
「酒は早く飲まないと腐っちゃうでしょう。」とおっしゃる方々も居られますが、お酒によっては生酒で常温で4~5年ほっといてもビクともせず味わいが増すものもありますし、蔵によっては何年か寝かせてから出荷するお酒もあります。冷蔵庫での低温貯蔵による酒造りが浸透しているのも有るでしょう。
熟成酒の中には、開栓して一ヶ月たっても味わいがへこたれないものもありますので、熟成酒の美味しさも味わっていただければと思います。とても熟成酒とは感じさせないフレッシュ感と濃厚な味わいのすばらしいお酒も有ることをご理解いただきたいと思います。
すばらしい熟成酒に出会うと、その奥行きと喉元をくすぐられるような後を引く美味さに「こういう楽しみ方も有るんだな~。」と感心してしまいます。
勿論開栓して見る見るうちに枯れていくお酒もありますが、それもそのお酒や蔵の性質を見極め飲み分ける必要があります。
{熟成酒地酒。長いもので七年ものもあり、当店で熟成させたものと熟成好きの酒屋さんの低温冷蔵庫で味わい深くなる‘その時’を待っていたお酒。}

熟成酒でも新酒でもそうですが、開栓したてと開栓して空気に触れ数日たったものでは味わいが違います。多くのお酒、新酒などは開栓直後は渋みと苦味があり、それが分らない方は堕酒と判断する事もあるようです。特に格上の日本酒は空気に触れてから味わいが深まるものが多いので、開栓仕立てで味を判断しないで出来れば開栓したてを味わい、また栓をして冷蔵庫で1~2日置いといて空気に触れた味わいを飲まれるのをお勧めいたします。
「蓋開けて空気に触れたら香りが飛ぶから残ったら空気抜きして保存しなければダメでしょう。」という方も居られると思いますが、それは堕酒で、しっかりした造りのお酒はそんなことではビクともしませんし、空気に触れるにしたがって味わいが増していくお酒もあります。
透明な液体からは想像は難しいかもしれませんが、飲みなれると「これは熟成向きの酒だ。」「これは早飲みじゃないと枯れる。」と分って来るものです。
ですから、冬から春にかけ新酒や斗瓶取りクラスの味見をして、熟成向きか早飲み向きかを見極め、年に一回しか販売されないお酒は買い置きし、お店で熟成させてからお勧めしたり、熟成酒が得意な酒屋さんには機会があるごとに「このお酒何年寝たかな~?」などと相談しながら酒質を見極め味わいをコントロールいたします。
その様な事はワインも同じでありますが、ワインの方が講釈や知識がかなり公にされている為、一般の理解度は高いものですが、実は日本酒の方が薀蓄や講釈は多いような気がいたします。ただ単に自己主張が少なく、売り込みや見栄を張ることをよしとしない日本文化の中で、お酒の薀蓄・講釈が語られずにきたので、世界規模で売り込み合戦しているワイン市場の講釈の前に後走りになっているものです。
今では世界の先進国では日本酒が飲まれ、日本酒の蔵元からも世界に売り込む動きがここ数年加速して、輸出をしたり海外で日本酒を生産している日本酒メーカーもあるものです。
自分はワインも好きでここ3年ほど日本酒よりはワインの方がめっきり多いですが、醸造技術とすればアルコール類の中で日本酒はピカイチです。日本酒以上の醸造技術を持ったアルコールは世界に無いでしょう。
何も知識も先入観もなく、日本酒を知らない人に透明な液体を勧めて「この透明な液体の原料は何でしょう?」と答えを求めても一発で「米」と当てれる方はいないのではないでしょうか?ワインなら「これは果物で・・・。ブドウ!」と当てる方は多いでしょう。
米粒から透明な液体を作り出すのですから、それだけ日本酒は醸造技術のレベルが高いという事でしょうか?
日本文化らしく安定した品質と言う事も重要です。
ワインは経験を積んでいても開けるのが怖いものでもあります。何本かまとめて買い同じ銘柄で年代も輸入業者も同じで、買った日にちも一緒で同じ日同じ時間に数本開けても味わいが個々にまったく違うことなど度々あります。「美味しい。」と1ケース買って、その中の1~2本はブショネ(コルクが原因のかび臭い味香り)などがあったり、特に高額で熟成向きのワインなどでその様なものに出会ったら失意のどん底に蹴落とされ無駄な出費となってしまいます。ですから、「前は美味しかった。」と胸を張って進めることが出来ない飲み物でもあります。同じものなのに一本一本の味わいに格差がありすぎると感じる事がワインは多いものです。それだけお守りも大変だからワインは可愛いものでもあります。
{おつまみに。料理有りきでも、お酒有りきでも、どちらでも楽しんでいただければよいでしょう。}

勿論厳密に言えば、日本酒も一本一本味わいが違います。春と秋で味が格差があるということは当然ありますが、同じ銘柄のものであれば、同じ季節で多少保存状態に格差があってもほぼ同等レベルの味わいをキープ出来る為、安心して勧めることも出来、優等生的なアルコールであります。
醸造技術が優れていると言う事がいえるでしょうか?それだけ人為的要素が日本酒にはありますが、ワインと同じようにテロワール(農作物が育つ環境。気候・土壌など)も重要な要素です。
大変遅くアルコール類ではお尻からのスタートですが、日本酒メーカーでもテロワールや酒米の個性、醸造技術・杜氏さんの肩書きなどを語るところも増えてきました。
その年の気候・風土によって酒質も変化があるということも語られるようになりました。ワインで言うヴィンテージでしょうか?
どのアルコール類にも共通して言える事ですが、まだまだ商売酒が多く本物のお酒が少ないのも否めません。
いかにも「不純物を添加した。」「売れ筋様に味付けした。」「売れればそれでよし。」という風なお酒も中には見受けるものです。
斗瓶取りや純米大吟醸をお勧めして「まるでワインだね!」「甘すぎる。辛くないいといけない。昔で言う二級酒が一番美味い。」と言われる方は、まだまだ居られますが、純粋な日本酒と言うものの姿は本来そういうもので、お米が原料なのだから旨いと言うか少し甘めなのは当たり前、「ワインのようだね!」という表現は適切ではなくそもそも日本酒はそういう物なのだとご理解戴きたい。昔の二級酒が辛口と言うのは当たり前でそれは商売用に量を増やす為、醸造アルコール(エタノール)を添加したもので純粋な日本酒の姿ではないものです。
勿論その様な何かを添加したお酒が美味しいと言う方はそれはそれでいいと思いますし、自分も「日本酒とはこうだ。ワインはこうあるべきだ。醸造酒はこうで、蒸留酒はこれで・・・。」というのはあまり気にせず、美味しければいいと言う考えです。何かかしら添加していればカクテルと思えばいいものでしょう。
薀蓄ではワインに大差をつけられている日本酒ですが、これからは醸造技術のすばらしさとテロワールなどをお客様が語る時代が来る事でしょう。
ワインで言う「メルローが、カベルネが、シャルドネが・・・。」「ビオだ。ボロドー液二回のみだ。」「土壌が、石灰岩質だ。粘土質だ。」「急斜面だ。水捌けが・・・。インポーターが・・・。」「リーファーだ。地下セラーが・・・。」「ヴィンテージが、当たり年が・・・。」「気候が、風土が、テロワールが・・・。」「ワイナリーが、ネゴシアンが・・・。」などなど言うように、「華想いが、美山錦が、酒こまちが、山田穂が・・・。」「有機だ。農薬散布一回のみだ。」「棚田だ。ふゆみずたんぼだ。」「水田だ。土栽培だ。」「特A地区だ。AAA(3A)だ。」「中汲みが、あらばしりが・・・。」「無濾過だ。一回火入れだ。」「生だ。原酒だ。」「斗瓶が、吟醸が・・・。」「蔵が、杜氏が・・・。」などと日本酒も味そっちのけで講釈を並び立てて楽しむ様になるかもしれません。そのうち世界各地で日本酒を選択するのが通でステイタスになるときも来るでしょうかね~?

{日本一と詠われる弘前夜桜。}
ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧下さい。
偽書
{深浦町円覚寺。}

自分のように料理を仕事とする者も、料理に興味があってご自分で包丁を握ったりする方々も、毎度毎度家族のために「今日は何を作ろうか?」と三度の食事に頭を悩ませる奥様方も料理本と言うものは、何かかしらの形でお役に立っている事と思われます。
自分のように仕事上料理の研究をしなければならないものにとっては、料理本は無くてはならない重要な役割を果たす存在であります。
普段の厨房では理解しがたい事や新しい料理作り、今まで知らなかった料理や先人が作り上げて来た王道料理・創作料理、新たな調理法や料理名・技術・知識などを知る貴重な辞典であります。
最初は写真付きの料理レシピのような本を良く見たものですが、そのうちどれもこれも示してある事に大差が無いことと自分自身がある程度の料理の基礎などを身に付けると、レシピ本よりも料理の考え方や長年料理を仕事としてきた方だからこそ話せる苦労話などを綴ってくれているエッセイのような料理本を見るようになりました。
二十代の頃は随分料理本集めに集中したもので、近所の本屋さんはもちろんの事、神保町の料理古本屋で買い集めたり、取り寄せたりなどして料理本を買い漁ったものですが、いつの頃からかあまり料理の本を見る機会が少なくなってしまいました。
二十代前半の頃は一般の料理本や専門誌、料理ガイドやテレビなどの料理番組、タレントさんがむやみやたらに褒めちぎる料理屋やレストランなどを拝見して、「青森より都会の方が料理はすごいんだろう、美味しいんだろう!」と思っていたものですが、いつの頃からか自分の暮らす青森というところが食文化では他を圧倒していると言う事を感じるようになり、仕事姿勢や商売の仕方、お客様を喜ばせるサービスの高さなどには興味があっても都会の料理にはあまり興味が無くなり、青森の郷土料理や全国の地方料理に関心が向くようになり、料理本を拝見する回数が少なくなっていきました。
料理本の多くは都会を中心に出版されるものです。関東料理や関西料理、特に京料理という言葉に日本人は弱いようです。一般の方々はまだまだ日本料理=京料理という認識の方々も多いかもしれません。
ですから、地方料理・郷土料理に興味が進むと見たい料理本がめっきり減ってしまうものです。なかなか郷土料理を紹介した本と言うものは出版されないものです。
自分はいつの頃からか「青森の食文化のレベルはすごい。これだけ食環境に恵まれた土地はそうあるものではない。青森の食材を使って青森の料理を作っていこう・・・。」と思うようになってからは青森の郷土料理を勉強する様に自然となっていきました。
{太平洋側の漁師料理鮑とウニがたっぷりの‘いちご煮’。黄色い野いちごに似たところから付いた名前。}

関東や関西の料理はすばらしいものが多いです。技術や知識、料理哲学は地方を圧倒しているでしょう。地方の郷土料理には無い洗練があります。ところが食べてみるとどうでしょう?「見栄えはいい、プレゼンテーションもすばらしい、実に小奇麗に料理されている。値段も張る。でも食べてみると・・・。そうでもないよな~・・・。」というのが自分の感想でしょうか?
「日本の各地にはその気候風土に根ざした美味しい料理が都会でも地方でも必ずある。そして田舎料理・郷土料理・婆様料理には都会に無いすばらしい要素がある。ところが其処には料理の技術力や知識が乏しく田舎臭い。それを現代の料理技術を応用し、時代に合わせて仕立て直して改良すればすばらしい料理が出来る!」
そう思うようになってからは、郷土料理の研究をしなければならなくなりました。
料理と言うものはただ見たり食べたりして憶えて作っても薄っぺらい物しか出来ません。その料理が出来た時代背景や環境、気候風土なども重要な要素です。そこを追求していくと同じ料理でも作り続けることによって料理に厚みや奥行きが出てて味わいも深くなるものです。
皆様が聞き覚えがある料理名、‘竜田揚げ’‘南蛮漬け’‘牡丹餅’‘深川丼’‘唐揚げ’などなど他にも専門的になれば‘水無月豆腐’‘空也蒸し’‘ヒバリ和え’‘鉄刺’‘柚庵漬け’‘土佐酢’‘砧巻き’‘信州蒸し’‘吹き寄せ’‘鼈甲アン’などなどは料理本に幾らでも出てくるし、今ではインターネットを開けば幾らでも見れるし情報も入ることでしょう。
ところが‘ジャッパ汁’‘けの汁’`貝焼き味噌’‘鮟鱇の共あえ’‘ホッケの飯寿司’‘玉菜の鱒漬け’‘ミガキカッパ’‘筋子巻き’‘ササギの炒め物’‘真鱈子の塩辛’‘人参の子和え’‘十三湖蜆とミズの炒め物’‘茄子の紫蘇巻き’‘ナメコと菊の塩辛’‘サモダシの味噌汁’‘山菜の飯寿司’季節の‘練りこみ’‘ワカオイ昆布のお握り’‘ホヤとミズの水物’‘いちご煮’などなど他にも沢山ある津軽人が日常で食べている青森の郷土料理はどこを調べてもどこにも出てこない。都会を中心とする料理本にはまったく登場いたしません。
関東関西料理は古書を調べれば、その成り立ちや歴史を知り、実際そこにお邪魔すれば体感出来るし、自分の料理技術を応用すれば近いものは作ることは出来るでしょう。
ところが、青森の郷土料理は現在自分の家庭の食卓に存在してもその生い立ちや歴史を調べる事はなかなか出来るものではありません。なぜなら幾世代にも渡り代々家庭や井戸端で奥様方が母親やご近所さんから口伝や手取り足取り習い継承され改良されたもので料理書・古文書が存在しないからです。
自分が青森の料理を作り、料理に厚みを持たせる為にも、その土地の歴史や風土、料理が完成された背景・環境を調べなくてはなりません。
{車力村高山稲荷神社。1000年以上前の創建と推測され海上祈願をしている事から北前船が関係しているのでは?}

そこで、頼る本もガイドも何も情報が無いので、自分で青森県内各地を回り食べ歩き、その土地の気候風土を体感し其処に住んでいる方々と酒を酌み交わしお国柄を知り、郷土史を紐解く作業に掛かりました。
そんなことをしていると実に面白い発見が沢山見つかり、知れば知るほど青森を出れば出るほど「青森っておもしぇ~な~!」と思うものです。
その中の一つに歴史・郷土史があり、教科書で語られない青森の奥深さを実感できるものです。
日本の歴史書の多くは偏ったもので、世界的に見てもその様ですがその時代の戦争の勝者が歴史書を作り自分たちを正当化したものが多数派と言えるでしょうか?
日本の歴史も料理書と同じく関東関西の限定地域を中心に近代では幕末・薩長を示したものが多いでしょうか?
それではそれ以外の日本の地域は何をなさっていたのでしょう?
青森市内には三内丸山遺跡という縄文時代に統制された国家が存在し、縄文の歴史観を覆した大きな遺跡があります。津軽半島の奥には太平山元遺跡という16500年前の遺跡があり、今のところ世界最古の縄文遺跡とされています。青森県の中央部八甲田山の麓の田舎館村では弥生時代(1980年ぐらいまでは北東北に弥生時代は水田は無かったというのが定説)の水田跡が発掘され、今でも実際に水田跡の上を歩く事も体験できます。木造町では宇宙人の顔をしたような重要文化財の遮光器土偶を有する亀ヶ岡遺跡もあります。青森市の小牧野遺跡ではストーンサークルも見ることが出来ます。八戸では最近国宝に認定された合掌土偶の是川遺跡もありその他たくさんの遺跡が青森県内では発掘され、義経伝説や坂之上田村麿伝説なども青森県内には多数あります。
近年全国的に飛鳥~奈良時代にかけて全長約6300km道幅は平均10数メートルの大きな古代のハイウェイが発掘されているそうですが、青森県では確認されていないようで、秋田・岩手では発見されているようです。なぜ、青森には無いのでしょう。田村麿も今では青森までは来ていなかった事が定説になっているようです。ところが、青森県各地に田村麻呂が創建したという神社・寺院が沢山あります。それでは誰が造ったのでしょう?誰にも分らないのですが青森には特に津軽地方には何かかしらの豊かな国家が有った様で、関東関西の方々も征服は出来なかったと推測できます。その背景には沢山の自然環境に恵まれた食糧資源があるでしょうか?それから、半年間雪に閉ざされ、八甲田山が険しく南国の方々には対応できない気候風土ではなかったのかとも考えられます。
{南部地方新郷村(旧戸来村)のキリストの墓。竹内古文書も見れます。}

津軽には、1000年前に10万の水軍を擁し大陸との貿易により巨万の財を築いた都市が存在したと言えばどうでしょうか?ゴルゴダの丘で処刑されたのは弟のイスキリでキリストは逃れて南部地方の旧戸来村(ヘブライが土地の由来)にたどり着き其処で生涯をすごし今現在もキリストの墓があると言えばどうでしょうか?
青森には世界に誇れるロマン溢れる二つの偽書があります。
歴史や遺跡などにご興味の方々には知られた‘東日流(つがる)外三郡史’と‘竹内古文書’。
東日流外三郡史は「えふりこぎ(津軽弁)」(共通語で見栄っ張りなどの意味合い)の聖地・五所川原近郊の家屋の天井部分から大量の古文書が発見され、後にそれが村史として公共出版され話題を呼び、その史書は20年前に日本を震撼させた地下鉄サリン事件の教祖さんも愛読し、自らの作る経典に数多く引用し多大な影響を及ぼすまでになったものでもあるそうです。
竹内古文書は、竹内巨麿さんが明治の頃、自分の家に伝わる古文書を元に「キリストの墓はここだ!」と青森県戸来村を訪れたことが発端になり、今では毎年6月の日曜にキリスト例大祭と称し、キリストのお墓の周りで町内の叔母様方が摩訶不思議なリズムで舞を見せてくれます。(キリストなのに神事は仏事で行われていてそのギャップがロマンを誘います。)
東日流外三郡史も竹内古文書も偽書だとされています。
‘偽書’と認定されてもその内容全てを否定する事も難しいものでしょう。
外三郡史論争は裁判にまで発展したようですが、裁判所の出した判決は曖昧なもので、現行の法の下では偽書か正史書かは判断する事は出来ないようです。(ご興味のある方は‘偽書東日流(つがる)外三郡史事件’齋藤光政著をご覧下さい。かなり面白いです。)
現在でも偽書ではないかと推測されているものにかの有名な「論語」「孫子」「韓非子」「孟子」なども然り日本では古事記や十七条の憲法、五輪書や南方録まで偽書と論議されているようです。
では、日本書紀などはどうでしょう?正史と断言できる方はいるのでしょうか?
小説と詠っているからいいでしょうが、篤姫さんや竜馬さんや武蔵さんなどは内容的には少しは沿っているかもしれませんが、多くの方々はテレビで時代劇を見て史実と思ってしまっているかもしれません?
その時代に生きたわけでもない。その場にいたわけでもない。正史は誰一人分らないのではないかと感じてしまうものです。だからこそロマンがあり面白いものでしょう。
{岩木山神社お山参詣。二日目の夜の囃子は魂をふつふつとさせてくれます。}

青森県内を回っていると東日流外三郡史や竹内古文書が偽書であっても、何かかしらここには昔から先人たちが長い間住み、固有の文化を形成し、気候風土に根ざした料理も開発し、歴史書や古文書を作らなくても豊かに暮らしていたのではないかと心をくすぐる彷彿とさせるものがあります。
十三湖近くの創建が1000年前とされる高山稲荷神社を拝見して、人口が数千人にも満たない車力村になんでこんなに大きな神社があるのだろう?
安東水軍はいなかったかもしれないけど奥津軽の十三湖の遺跡や福島城跡や唐川城跡は誰が作ったのだろう。
田村麿は来てい無いとされているのに、青森県内で一番壮麗な神社岩木山神社や檀家を持たない歴史あるお寺深浦円覚寺は誰が建立したのでしょう?
県内各地から沢山の縄文遺跡が発掘され沢山の出土品から大陸との交流があったとされているなら、どんな交流をしてどんな文化を持ったいたのでしょうか?
一代二代では到底出来ない、歴史や文化が無ければ祭りは起きないはずなのに、青森県内各地の個性的な起源も定かでないもしくは数百年続く祭りの数々(ねぶた・ねぷた、お山参詣、えんぶり、田名部祭り、三社大祭、よされ、大川原火流しなどなど)はどのように起こったのでしょう?ねぶたやお山参詣の囃子を耳にするとなぜか精神を鷲掴みします。
三内丸山遺跡を見学したり、田舎館村の弥生時代の水田跡を直に歩いたりすると、何か遺伝子でもくすぐられているように感じます。
津軽三味線や津軽民謡を耳にし、津軽塗りやこぎん刺しなどの工芸品を見ていれば根底に分厚に文化があるのを感じ取れます。
青森県内の豊かな多様性に富んだ自然を見て周り、食糧自給率の高さと食糧の多種さ、多様な郷土料理の数々を味わえば昔から青森は普段の生活が豊かで文化的であったと先人の足跡を読み取れます。
史書を作る理由に政治的なものと自らを正当化する事などがあるような気がいたします。
戦好きな民族と平和主義な民族があり、エスキモー、アイヌ、アボリジニー、サーミ、ネイティブアメリカン(過去にインディアンと呼ばれてしまった方々)などの民族そして津軽人は戦いを好まず、自然を尊重し際立った格差社会を作らずのんびり暮らしていたのではないかと推測出来、歴史書を必要としなかった。戦好きの民族は史書を大量生産したのではないかと考えてしまうものです。
料理書に偽書は無いかも知れません。それでも脚色された料理本やガイドはお見受けできます。歴史書と同じく料理書も中央集権化のようです。郷土料理がもっと注目されてもいい時期と感じます。
料理書も偽書も人生の楽しい時間を過ごすにはとても貴重な財産です。
東日流外三郡史や竹内古文書のような、間違って錯覚してしまうほどのロマン溢れる書物が又現れて、青森を楽しくさせてくれればいいものだと思うものです。

{浪岡町中世北畠氏の城跡国史跡の浪岡城址のモコモコの桜の花ももう少しで見れます。}
ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理も’ごらんください。

自分のように料理を仕事とする者も、料理に興味があってご自分で包丁を握ったりする方々も、毎度毎度家族のために「今日は何を作ろうか?」と三度の食事に頭を悩ませる奥様方も料理本と言うものは、何かかしらの形でお役に立っている事と思われます。
自分のように仕事上料理の研究をしなければならないものにとっては、料理本は無くてはならない重要な役割を果たす存在であります。
普段の厨房では理解しがたい事や新しい料理作り、今まで知らなかった料理や先人が作り上げて来た王道料理・創作料理、新たな調理法や料理名・技術・知識などを知る貴重な辞典であります。
最初は写真付きの料理レシピのような本を良く見たものですが、そのうちどれもこれも示してある事に大差が無いことと自分自身がある程度の料理の基礎などを身に付けると、レシピ本よりも料理の考え方や長年料理を仕事としてきた方だからこそ話せる苦労話などを綴ってくれているエッセイのような料理本を見るようになりました。
二十代の頃は随分料理本集めに集中したもので、近所の本屋さんはもちろんの事、神保町の料理古本屋で買い集めたり、取り寄せたりなどして料理本を買い漁ったものですが、いつの頃からかあまり料理の本を見る機会が少なくなってしまいました。
二十代前半の頃は一般の料理本や専門誌、料理ガイドやテレビなどの料理番組、タレントさんがむやみやたらに褒めちぎる料理屋やレストランなどを拝見して、「青森より都会の方が料理はすごいんだろう、美味しいんだろう!」と思っていたものですが、いつの頃からか自分の暮らす青森というところが食文化では他を圧倒していると言う事を感じるようになり、仕事姿勢や商売の仕方、お客様を喜ばせるサービスの高さなどには興味があっても都会の料理にはあまり興味が無くなり、青森の郷土料理や全国の地方料理に関心が向くようになり、料理本を拝見する回数が少なくなっていきました。
料理本の多くは都会を中心に出版されるものです。関東料理や関西料理、特に京料理という言葉に日本人は弱いようです。一般の方々はまだまだ日本料理=京料理という認識の方々も多いかもしれません。
ですから、地方料理・郷土料理に興味が進むと見たい料理本がめっきり減ってしまうものです。なかなか郷土料理を紹介した本と言うものは出版されないものです。
自分はいつの頃からか「青森の食文化のレベルはすごい。これだけ食環境に恵まれた土地はそうあるものではない。青森の食材を使って青森の料理を作っていこう・・・。」と思うようになってからは青森の郷土料理を勉強する様に自然となっていきました。
{太平洋側の漁師料理鮑とウニがたっぷりの‘いちご煮’。黄色い野いちごに似たところから付いた名前。}

関東や関西の料理はすばらしいものが多いです。技術や知識、料理哲学は地方を圧倒しているでしょう。地方の郷土料理には無い洗練があります。ところが食べてみるとどうでしょう?「見栄えはいい、プレゼンテーションもすばらしい、実に小奇麗に料理されている。値段も張る。でも食べてみると・・・。そうでもないよな~・・・。」というのが自分の感想でしょうか?
「日本の各地にはその気候風土に根ざした美味しい料理が都会でも地方でも必ずある。そして田舎料理・郷土料理・婆様料理には都会に無いすばらしい要素がある。ところが其処には料理の技術力や知識が乏しく田舎臭い。それを現代の料理技術を応用し、時代に合わせて仕立て直して改良すればすばらしい料理が出来る!」
そう思うようになってからは、郷土料理の研究をしなければならなくなりました。
料理と言うものはただ見たり食べたりして憶えて作っても薄っぺらい物しか出来ません。その料理が出来た時代背景や環境、気候風土なども重要な要素です。そこを追求していくと同じ料理でも作り続けることによって料理に厚みや奥行きが出てて味わいも深くなるものです。
皆様が聞き覚えがある料理名、‘竜田揚げ’‘南蛮漬け’‘牡丹餅’‘深川丼’‘唐揚げ’などなど他にも専門的になれば‘水無月豆腐’‘空也蒸し’‘ヒバリ和え’‘鉄刺’‘柚庵漬け’‘土佐酢’‘砧巻き’‘信州蒸し’‘吹き寄せ’‘鼈甲アン’などなどは料理本に幾らでも出てくるし、今ではインターネットを開けば幾らでも見れるし情報も入ることでしょう。
ところが‘ジャッパ汁’‘けの汁’`貝焼き味噌’‘鮟鱇の共あえ’‘ホッケの飯寿司’‘玉菜の鱒漬け’‘ミガキカッパ’‘筋子巻き’‘ササギの炒め物’‘真鱈子の塩辛’‘人参の子和え’‘十三湖蜆とミズの炒め物’‘茄子の紫蘇巻き’‘ナメコと菊の塩辛’‘サモダシの味噌汁’‘山菜の飯寿司’季節の‘練りこみ’‘ワカオイ昆布のお握り’‘ホヤとミズの水物’‘いちご煮’などなど他にも沢山ある津軽人が日常で食べている青森の郷土料理はどこを調べてもどこにも出てこない。都会を中心とする料理本にはまったく登場いたしません。
関東関西料理は古書を調べれば、その成り立ちや歴史を知り、実際そこにお邪魔すれば体感出来るし、自分の料理技術を応用すれば近いものは作ることは出来るでしょう。
ところが、青森の郷土料理は現在自分の家庭の食卓に存在してもその生い立ちや歴史を調べる事はなかなか出来るものではありません。なぜなら幾世代にも渡り代々家庭や井戸端で奥様方が母親やご近所さんから口伝や手取り足取り習い継承され改良されたもので料理書・古文書が存在しないからです。
自分が青森の料理を作り、料理に厚みを持たせる為にも、その土地の歴史や風土、料理が完成された背景・環境を調べなくてはなりません。
{車力村高山稲荷神社。1000年以上前の創建と推測され海上祈願をしている事から北前船が関係しているのでは?}

そこで、頼る本もガイドも何も情報が無いので、自分で青森県内各地を回り食べ歩き、その土地の気候風土を体感し其処に住んでいる方々と酒を酌み交わしお国柄を知り、郷土史を紐解く作業に掛かりました。
そんなことをしていると実に面白い発見が沢山見つかり、知れば知るほど青森を出れば出るほど「青森っておもしぇ~な~!」と思うものです。
その中の一つに歴史・郷土史があり、教科書で語られない青森の奥深さを実感できるものです。
日本の歴史書の多くは偏ったもので、世界的に見てもその様ですがその時代の戦争の勝者が歴史書を作り自分たちを正当化したものが多数派と言えるでしょうか?
日本の歴史も料理書と同じく関東関西の限定地域を中心に近代では幕末・薩長を示したものが多いでしょうか?
それではそれ以外の日本の地域は何をなさっていたのでしょう?
青森市内には三内丸山遺跡という縄文時代に統制された国家が存在し、縄文の歴史観を覆した大きな遺跡があります。津軽半島の奥には太平山元遺跡という16500年前の遺跡があり、今のところ世界最古の縄文遺跡とされています。青森県の中央部八甲田山の麓の田舎館村では弥生時代(1980年ぐらいまでは北東北に弥生時代は水田は無かったというのが定説)の水田跡が発掘され、今でも実際に水田跡の上を歩く事も体験できます。木造町では宇宙人の顔をしたような重要文化財の遮光器土偶を有する亀ヶ岡遺跡もあります。青森市の小牧野遺跡ではストーンサークルも見ることが出来ます。八戸では最近国宝に認定された合掌土偶の是川遺跡もありその他たくさんの遺跡が青森県内では発掘され、義経伝説や坂之上田村麿伝説なども青森県内には多数あります。
近年全国的に飛鳥~奈良時代にかけて全長約6300km道幅は平均10数メートルの大きな古代のハイウェイが発掘されているそうですが、青森県では確認されていないようで、秋田・岩手では発見されているようです。なぜ、青森には無いのでしょう。田村麿も今では青森までは来ていなかった事が定説になっているようです。ところが、青森県各地に田村麻呂が創建したという神社・寺院が沢山あります。それでは誰が造ったのでしょう?誰にも分らないのですが青森には特に津軽地方には何かかしらの豊かな国家が有った様で、関東関西の方々も征服は出来なかったと推測できます。その背景には沢山の自然環境に恵まれた食糧資源があるでしょうか?それから、半年間雪に閉ざされ、八甲田山が険しく南国の方々には対応できない気候風土ではなかったのかとも考えられます。
{南部地方新郷村(旧戸来村)のキリストの墓。竹内古文書も見れます。}

津軽には、1000年前に10万の水軍を擁し大陸との貿易により巨万の財を築いた都市が存在したと言えばどうでしょうか?ゴルゴダの丘で処刑されたのは弟のイスキリでキリストは逃れて南部地方の旧戸来村(ヘブライが土地の由来)にたどり着き其処で生涯をすごし今現在もキリストの墓があると言えばどうでしょうか?
青森には世界に誇れるロマン溢れる二つの偽書があります。
歴史や遺跡などにご興味の方々には知られた‘東日流(つがる)外三郡史’と‘竹内古文書’。
東日流外三郡史は「えふりこぎ(津軽弁)」(共通語で見栄っ張りなどの意味合い)の聖地・五所川原近郊の家屋の天井部分から大量の古文書が発見され、後にそれが村史として公共出版され話題を呼び、その史書は20年前に日本を震撼させた地下鉄サリン事件の教祖さんも愛読し、自らの作る経典に数多く引用し多大な影響を及ぼすまでになったものでもあるそうです。
竹内古文書は、竹内巨麿さんが明治の頃、自分の家に伝わる古文書を元に「キリストの墓はここだ!」と青森県戸来村を訪れたことが発端になり、今では毎年6月の日曜にキリスト例大祭と称し、キリストのお墓の周りで町内の叔母様方が摩訶不思議なリズムで舞を見せてくれます。(キリストなのに神事は仏事で行われていてそのギャップがロマンを誘います。)
東日流外三郡史も竹内古文書も偽書だとされています。
‘偽書’と認定されてもその内容全てを否定する事も難しいものでしょう。
外三郡史論争は裁判にまで発展したようですが、裁判所の出した判決は曖昧なもので、現行の法の下では偽書か正史書かは判断する事は出来ないようです。(ご興味のある方は‘偽書東日流(つがる)外三郡史事件’齋藤光政著をご覧下さい。かなり面白いです。)
現在でも偽書ではないかと推測されているものにかの有名な「論語」「孫子」「韓非子」「孟子」なども然り日本では古事記や十七条の憲法、五輪書や南方録まで偽書と論議されているようです。
では、日本書紀などはどうでしょう?正史と断言できる方はいるのでしょうか?
小説と詠っているからいいでしょうが、篤姫さんや竜馬さんや武蔵さんなどは内容的には少しは沿っているかもしれませんが、多くの方々はテレビで時代劇を見て史実と思ってしまっているかもしれません?
その時代に生きたわけでもない。その場にいたわけでもない。正史は誰一人分らないのではないかと感じてしまうものです。だからこそロマンがあり面白いものでしょう。
{岩木山神社お山参詣。二日目の夜の囃子は魂をふつふつとさせてくれます。}

青森県内を回っていると東日流外三郡史や竹内古文書が偽書であっても、何かかしらここには昔から先人たちが長い間住み、固有の文化を形成し、気候風土に根ざした料理も開発し、歴史書や古文書を作らなくても豊かに暮らしていたのではないかと心をくすぐる彷彿とさせるものがあります。
十三湖近くの創建が1000年前とされる高山稲荷神社を拝見して、人口が数千人にも満たない車力村になんでこんなに大きな神社があるのだろう?
安東水軍はいなかったかもしれないけど奥津軽の十三湖の遺跡や福島城跡や唐川城跡は誰が作ったのだろう。
田村麿は来てい無いとされているのに、青森県内で一番壮麗な神社岩木山神社や檀家を持たない歴史あるお寺深浦円覚寺は誰が建立したのでしょう?
県内各地から沢山の縄文遺跡が発掘され沢山の出土品から大陸との交流があったとされているなら、どんな交流をしてどんな文化を持ったいたのでしょうか?
一代二代では到底出来ない、歴史や文化が無ければ祭りは起きないはずなのに、青森県内各地の個性的な起源も定かでないもしくは数百年続く祭りの数々(ねぶた・ねぷた、お山参詣、えんぶり、田名部祭り、三社大祭、よされ、大川原火流しなどなど)はどのように起こったのでしょう?ねぶたやお山参詣の囃子を耳にするとなぜか精神を鷲掴みします。
三内丸山遺跡を見学したり、田舎館村の弥生時代の水田跡を直に歩いたりすると、何か遺伝子でもくすぐられているように感じます。
津軽三味線や津軽民謡を耳にし、津軽塗りやこぎん刺しなどの工芸品を見ていれば根底に分厚に文化があるのを感じ取れます。
青森県内の豊かな多様性に富んだ自然を見て周り、食糧自給率の高さと食糧の多種さ、多様な郷土料理の数々を味わえば昔から青森は普段の生活が豊かで文化的であったと先人の足跡を読み取れます。
史書を作る理由に政治的なものと自らを正当化する事などがあるような気がいたします。
戦好きな民族と平和主義な民族があり、エスキモー、アイヌ、アボリジニー、サーミ、ネイティブアメリカン(過去にインディアンと呼ばれてしまった方々)などの民族そして津軽人は戦いを好まず、自然を尊重し際立った格差社会を作らずのんびり暮らしていたのではないかと推測出来、歴史書を必要としなかった。戦好きの民族は史書を大量生産したのではないかと考えてしまうものです。
料理書に偽書は無いかも知れません。それでも脚色された料理本やガイドはお見受けできます。歴史書と同じく料理書も中央集権化のようです。郷土料理がもっと注目されてもいい時期と感じます。
料理書も偽書も人生の楽しい時間を過ごすにはとても貴重な財産です。
東日流外三郡史や竹内古文書のような、間違って錯覚してしまうほどのロマン溢れる書物が又現れて、青森を楽しくさせてくれればいいものだと思うものです。

{浪岡町中世北畠氏の城跡国史跡の浪岡城址のモコモコの桜の花ももう少しで見れます。}
ヤフーブログ‘食の桃源郷 青森’もご覧下さい。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理も’ごらんください。
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